知ってる?『 目には目で、歯には歯で』の本当の意味
私達は、聖書に書いてある言葉を断片的に聞くことはあっても、それらの言葉についての本当の意味を知ることなく、自分勝手に理解していることが少なくはないことは多いのです。 今回の「目には目で、歯には歯で」という言葉についても、以下の中川牧師の解説を読むと、私達が本当の意味を知っていなかったことに気づくと思います。 旧約聖書に初めて出てくるこの言葉は、新約聖書ではイエス・キリストによって新しく正しい解き明かしがされました。 そして、中川健一牧師は、私達がさらに理解しやすいようにここクレイで解説をしてくれています。 ぜひ、以下を読み進めてください。
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2021年8月11日水
きよめてください。 Cleanse me Lord.
マタイの福音書5:38 ~ 42
38 『 目には目で、歯には歯で』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
39 しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬ほおを打つような者には、左の頬も向けなさい。
40 あなたを告訴こくそして下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい。
41 あなたに一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに二ミリオン行きなさい。
42 求める者には与え、借りようとする者は断らないようにしなさい。
復讐
同害報復法
口伝律法とメシアの教えの対比が続く。この箇所でのテーマは、「復讐ふくしゅう」(報復ほうふく)である。「目には目で、歯には歯で」という命令は、出エジプト記21:24、レビ記24:20 などに登場する。(1)これは、同害報復法どうがいほうふくほうと呼ばれるもので、紀元前18 世紀のハムラビ法典にまでさかのぼることができる。同害報復法の目的は、復讐のサイクルに歯止めをかけることにあった。しかし、その目的が忘れ去られ、実際には報復を要求する根拠こんきょとして用いられるようになった。これは、同害報復法の乱用である。(2)さて、モーセの律法では、この規定は法廷で「法の正義」を行うために与えられていたものである。法廷の中で実行されるという点、また、罪の重さに比例する程度の罰を与えるという点で、「法の正義」が守られたわけである。(3)しかし口伝律法では、同害報復法は、私的に復讐を行うための根拠として悪用された。それを矯正するために、イエスは「律法の義」の解釈を明示されたのである。
復讐心からの解放
イエスは、実に絵画的な表現で、無抵抗むていこうの重要性を教えられた(39 ~42 節)。ここでのイエスの教えは、悪や不正を容認せよというものではなく、復讐したいという思いからの解放を説といたものである。イエスの弟子であるなら、報復しないだけでなく、求められたもの以上のものを差し出すべきである。それができるようになるためには、物に対する執着心しゅうちゃくしんから解放されている必要がある。
まとめとして、次の2 点を確認しよう。(1)無実の者(被害者)の権利は、モーセの律法によって守られている。それゆえ、権利が侵害されたときには、自分の権利を主張することが許ゆるされている。(2)ただし、必ずしもその権利を主張する必要はない。自らの意志でその権利を放棄ほうきすることも可能である。「求める者には与え、借りようとする者は断らないようにしなさい」とは、そういう意味である。それができる人こそ、義人である。
私たちに関しては、すべてのさばきを神に委ねようではないか。怒いかりや憎にくしみから解放されるように、祈ろうではないか。「ですから、私たちは、もはや互いにさばき合うことのないようにしましょう。いや、それ以上に、兄弟にとって妨げになるもの、つまずきになるものを置かないように決心しなさい」(ロマ14:13)
きょうの祈り
天の父なる神さま。私の心がいつでも、怒りや憎しみから解放された状態にありますように心から願います。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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いかがでしたか? 私達は、聖書についての理解なく、聖書に書いてある言葉を断片的に聞くことは少なくありません。聞いた言葉の意味をその出どころの「聖書」に戻って理解することには思いもよらず、自分の理解が正当なものであると考えることは少なくありません。 そして、その誤解の上に立ってキリスト教を否定することも少なくはないと思うのです。 私達を救いに導くためにご自分の命を、私達の命の贖いとして十字架の上で捧げられたイエス・キリストという方の、その行為の背後にある私達への愛を考えながら聖書の言葉について学ぶとき、私達の聖書の言葉に対する誤解は、「聖書を歴史的視点、文化的視点をもって文脈に沿って正しく学ぶ」事によって容易に解かれると信じています。 ハーベスト・タイム・ミニストリーズと共に、聖書を正しく学ぶことをあなたにもお勧めします。 またお会いできることを願っています。 cororin