悪徳霊感商法から身を守る方法

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私はオーストラリアに住み、デジタル新聞で日本のニュースを読んでいます。
もちろん、一方的に表示されるニュースから、自分の興味に偏った拾い読みです。
だいぶ前のデジタル新聞にも、統一教会、もう少し的を絞って言うと霊感商法についての記事がありました。
35年以上も霊感商法にまつわる被害の改善のために関わってきた方の一言が印象に残りました。
それは
霊感商法「悲しいほど35年間同じ」 
というものでした。
この記事は、霊感商法による被害が増加し始めた35年前から、霊感商法をしている宗教法人の問題を取り上げ、世に公開し35年以上も霊感商法にまつわる被害の改善のために関わってきた方の話でした。
35年前に関わりを持ち、裁判等で裁かれる件もあった中で、当時はこの問題は数年で終わるだろうと感じていたが、そうはならなかった。

霊感商法をする団体は、言葉上では「改善する」と言いながらも、信者からお金を搾取するという方法は形を変えつつも結局35年後の現在にも明らかに存在し、霊感商法による搾取によって人生を破壊されている人たちが後を絶たない。だから、岸田政権には、本腰を入れてこの問題に取り組んでほしい。そんな記事でした。
書いてあることは事実だと思うし、加害者側となる新興宗教の霊感商法を取り締まり、被害者をなくすためには、法の力を取り入れるなどの政府の力が必要ということだろう。

とはいっても。

35年経っても変わらぬものは「人間」の本質

記事では「35年経っても変わらぬ霊感商法、あるいは被害者の存在」的に書かれていたけれど、私が「35年経っても変わらぬもの」について感じたのは、加害者側の方はもちろんだが、私達被害者になりうる側の人間性、その本質について「変わらない」のだろうな、というものだった。
たしかに、加害者側の金銭に対する強欲、人間の誰もが持ちうる強欲が変わらないために、形を変えつつも被害者が生まれてきていることは確かだろう。
しかし、彼らが人々を引き込むやり方は俗に言う「人の弱みにつけ入る」というやり方にほかならないのではないだろうか。
では、人の弱みとはなにか?
それは、不幸せ感、不足感、不安感と言いかえることができるかもしれない。
つまり、霊感商法は、私達の持つ不安感、不足感、不幸せ感に目をつけ、探り出して、つけ入る。

どんな人間にも、その人生の中で「自分の弱み」に落ち込み、それにとらわれる時がある。そしてそんな時に私達人間は自分にとっての「助け手」を求める。

彼らの狙い目は、ココ。

私達人間が「自分の弱み」に落ち込んだとき、助けを求めることはとても大切なことで、人として生きていく上では必要不可欠とも言える行動だ。 一昔前なら「人に迷惑をかけることなく、自分のことは自分でしなさい。自立しなさい」といったかもしれないが、時代は変わった。

時代は変わった

そう、時代は変わったのだ。

今は、第二次世界大戦後、経済成長期の中で成人、壮年期を過ごした人たちのような時代ではない。
かつては、家庭を犠牲にして「働き蜂」と称されながらも、働けばそれだけのお金が、犠牲にしたものを覆い隠すかのような報酬となって返ってきた。

が、今の時代は 、そうではない。

いくら自分の身を粉にして働いても、自分の家庭を犠牲にしても、それに値すると思えるほどの報酬は自分には返ってこない。
人との比較ではなく、自分という個としての精一杯の努力が認めてもらえない社会の中で、自己肯定感を築くチャンスも与えられず、常に不安定感と不安感の中に漂い、ついには精神を病む人たちも多くなった。

こんな現代に生きる私達にとって、自分以外の存在に助けを求める行動は避難されるべき行動では絶対にない。むしろ「助けを求めるとい行動」は推奨されるべきものと、強調したい行動である。

が、しかし、「誰に助けを求めるか?」それが一番の問題になる。

誰に助けを求めるか

生きる上でなにかの問題にぶつかったとき、人は 自分の持つ問題の種類によって、誰に助けを求めるかを選ぶだろう。
病気や怪我ならばまずは医者に行く。
強盗に入られたなら、警察。
家族のことならば自分のことをよく知っていると思われる友人や親戚かもしれない。

では、形のない不安についてはどうだろう?

人は時として、実は良くあることとして、実態の見えない自分の心の問題についての相談相手をうまくは見極められない傾向があるのではないか?

体のことならば目に見えるから、第三者にも自分にもわかりやすい。
が、目に見えないこと、自分の心や気持ちは他人と比較できないがゆえに、いま感じている不快感が果たして相談すべき程の事かどうかの判断さえつきにくい。

そんな人間の弱みに付け入るのが、霊感商法、新興宗教ではないかと私は思う。

見えない過去から、先祖の話をでっちあげ、先祖供養をしないと未来に大変なことになると、目には見えない未来の話を持ち出して人を脅す。
そして、誰にも見ることなどできない「未来のため」という名目で何十万、何百何千万円という物を売りつける。

その度に新興宗教の教祖には、まるでゲームセンターの大当たりが出たときのようなファンファーレが鳴り響く。

霊感商法にハマった人たちは、購入したものによって一時的な安堵感を得られはしても、次々に目には見えない過去と未来の創作話によって不安が創造され、新興宗教の教祖にありったけの貴重なお金を吸い上げられる。

では、新興宗教と呼ばれるものの被害者にならないために、できることはあるのか?

私は、あると思っている




新興宗教と呼ばれるものの被害者にならないために、できることはあるのか?

被害者になりうるすべての人に必要なこと、それは確固とした神概念を持つことではないか、と私は考える。

「神とは、人間以上の力を持つ存在」と言えば、そうそう大きな反論は生まれてこないだろう
という前提に立って話を進める。

で、日本は、八百万の神を信じる国民であり、
どんな宗教もみんないい。
いいとこ取りでみんな仲良く。
どんな宗教でも行き着くところは一つ。

ぱっというとこんな感じなのかもしれないと思うがどうだろう?

で、新興宗教による悪徳霊感商法の問題を抱えているのが、
こういう神概念を持っている日本であるとい言うことができる。

少なくとも悪徳霊感商法の被害者になる人達に、
それ以前に確固たる神概念を持っていた人はいないのではあるまいか?
(あくまでも私の想像だけれど)

もし神概念を持っているにも関わらず新興宗教にハマってしまったという人がいるなら、
その人の神概念は確固たるものではなく、
新興宗教の洗脳によって覆されるだけの神概念しか持っていなかった
と言えるだろう。

じつは、日本人の変わらない本質の一つに、
「空洞な神概念」というものがあるように私は感じている。

学び育み築き上げる機会のない「日本人の神概念」

神という存在について、日本人には学ぶ機会が非常に少ない。
少ないというより「殆ど無い」といったほうが現状に近いかもしれない。

学ぶ機会がないからと言って、神がいないと言い切れる人ばかりではないとすれば、「神はいる、と思う」という曖昧な表現をする背景にあるのは、幼い頃から親しんできた日本人の生活習慣に染み込んでいる宗教行事や、親や祖父母から日常的に聞かされてきた「理由を証明することのできない事象または力の存在」を通して(私がそうだった)、または個人的に神秘的な体験をしたことがあるから、かもしれない。
神は通常は、私達の目には見えない、人間以上の力を持つ存在として、考えられている。
新約聖書 口語訳 ローマ人への手紙/ 01章 20節
神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。
つまりそれは、視覚的には存在を証明できないが、なにかしらの力ある存在である。

「視覚的には存在を証明できないが、なにかしらの力ある存在」を
証明はできないけれど、完全に否定することもできない。

でも、自分が否定できない神の存在を認めてはいても、
その神がどのような方で、
どのような力を持ち、
自分の過去と現在にどのように関係し、
自分の未来にどのような計画を持っているのか?

そんなことを知っている人は、ほとんどいないだろう。
これらのことを知ることができると思っている人さえ、いないだろう。

新興宗教は、日本人のこんな「無教育なために空洞化している神概念」に目をつけて、
自分たちのいいように定義づけて形作った神概念で
あなたの空洞を埋めてしまう。

神はいるとは思っていたけれど、知らなかった神、
あなたの中の空洞だった神概念は
「彼らのでっちあげた神」
「人間である彼ら自身の欲望を満たすために好都合に作り上げた神の話」で
埋められていく。

知らなかったことを知らされたと感じるあなたの弱っていた心はそれに魅了され、
次には彼らの思う通りに洗脳される。

あなたの中に湧いてくるいくつかの疑問に付いて彼らは、
「信仰が足りない」「まだ未熟だから」といって半ば嘲笑し
「これから学ぶことだから」とかなんとか体裁を繕うような言葉で
誤魔化してしまう。

真実な神を信仰する宗教であれば、
私達一般の人間が疑問に思うことに対して、
これまでの史実の研究等に基づいた答えを持っている。

あなたの質問に真摯に対応しないのは
質問に答えないのではなく、答えられないから。
答えを持っていないから。

彼らの神は、真実な神ではなく
ただのでっちあげの神だからから。

だからどうすればいい?

だから、神はいると心で信じているのなら、自分の心が弱くないうちに、真実の神概念を持っておくべきだと思う。

私達の人生においては、いつ、神の助けを必要と思うときが来るか、知れないのだから。

その時になって、新興宗教や霊感商法に騙されないように、
今、真実なる神についての学びを始めること。

それが、新興宗教や霊感商法からあなたを守る方法だと私は信じている。


ここまで読んでいただきありがとうございます。

皆さんの心に、イエス・キリストの平安が与えられますようにと
祈ります。

Cororin
コメント一覧
  1. 石井道子 says:

    ブログわかりやすく、一気に読みました。
    中川先生に学んでいるんだね。

    トミーがクリスチャンって知らなくて、聖書アプリ持ってるって聞いて、えっ?もしかしてと思ってて
    ブログ見てとっても嬉しかったです。

    私も中川先生の勉強してみたいなぁ。

    • cororin says:

      道子さん、コメントありがとうございました。とても嬉しかったです。そうなんです、クリスチャンなのです、かれこれ25年前から(汗)。お時間があったら他の記事も読んでみてください。私の不信仰クリスチャン生活も垣間見ていただけます。 ハーベスト・タイム・ミニストリーズの中川先生の聖書塾、コロナのために全行程がオンラインになったのでここぞとばかりに申し込みをしました。全過程二年半で、今ははじめの6ヶ月の入塾講座の終わりに差し掛かっています。とてもとても勉強になります。勉強と言うと堅苦しい感じですが、今の入門講座では、教会での説教がパッチワークの一つづつの布の一片とすると、聖書塾の学びは、この沢山の一片をつなぎ合わせて「聖書」という全体像が見えてきます。 今まで断片的に神についてイエス様について学んできたことが、更に深められながら、体系的に捉えられる気がしています。本格的な神学講座は来年に始まるので、それがどのようなものか、またお知らせしますね。 入塾希望の申込みは、申し込み開始から1時間もかからないでいっぱいになるような状況です。興味があるようでしたら、ハーベスト・タイム・ミニストリーズの聖書塾を確認することをおすすめします。 一緒に学んでいる人がいると思えたら、私も励みにまります!

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