アボリジニの村で驚きの生活 その2:学校生活編
ホープベールの学校のマラソン大会 もちろんほとんどの子供達は裸足で走る。 アボリジニの脚は本当に細い、 が走るのはとても早い。

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アボリジニの村での生活その2 です。
人生で2回目の大掛かりな国際引越しの後、とうとうオーストラリアのケアンズに着いた家族五人。今日は紅い大地の上にあるアボリジニの村ホープベールでの驚きの学校生活😳の6ヶ月間について書きます。

その1については以下。

アボリジニの村 にて その1:移住の理由

では、BGM GOD WILL MAKE A WAY を ON にして、
Let's begin !

ケアンズからホープベールへ

ケアンズはニュージーランドの夏とは比べようもないほどの湿度だった。
日本の夏の様でもあるけれど、ニュージーで約7年を過ごしていた体にはかなりこたえた。

ケアンズでの夫の1週間の研修の後、偶然にもケアンズに来ていた義理の兄の助けを借りて急遽中古のパジェロを購入。そのパジェロで370km先のホープベールを目指す。

途中対面通行の時速110km制限の道を走る。
走り続ければ約5時間の道のりであるが、道路脇にはガードレールも柵も反射鏡のポールも無く、
時として道端または道路上に牛が佇んでいる。

更に、道の両脇には車に惹かれたカンガルーや牛の死骸。
運転中視界を妨げるものはほとんど無く,見通しは良くても、道路脇から動物が飛び出してくる可能性は大。 間違ってカンガルーを引いたものなら、車は損傷する。

ケアンズからは午後の出発ということもあって、結局この日は、ホープベールから約40kmほど離れたクックタウンに急遽安宿をとり、翌日早くクックタウンを出てホープベールに到着。

ゴッキーのいる家

Hope Vale の教員住宅家族五人で「ゴッキー(ぶり)」の待つ家へと入っていった。

驚きの学校生活

新学年が始まる一月下旬だった。

長男は五年間ある高校課程の一年生。
次男は、7年間ある小学課程の5年生、
三男は小学課程の1年生。

13歳の長男は他の高校生徒と一緒にホープベールから片道40分の未舗装道路のバス通学で、クックタウンの公立高校へ行った。
下の二人はその父親が勤務する徒歩五分の地元の学校へ行く。

ホープベールで初めて登校日

この学校では、学力別にクラス分けがされる。
理由は、アボリジニの子供達の学力はその年齢には比例してはいないから。

小1の三男は基本的な読み書き計算はNZでやってきたので、1、2年のクラスを飛ばした。
小さな体の彼が、11ー12歳の大きな子供に混じって勉強する姿は、私の目に滑稽に映った。

次男はこの学校の一番上のクラスで学ぶことになった。

長男は高校でアジア系の友達が二人できて、楽しそうに高校に行っていた。

が、下の二人の学校生活はなかなか厳しいものだった。
子供の間で、新参者は受け入れられにくく、俗に言ういじめの対象にもなった。

まだ5歳だった三男は、他の子供達に受け入れてもらえず時に涙し😢😭次男やその父親に慰められ、守られる必要が生じることもよくあった。

学校に忘れてきたランチボックスや傘は、元の姿をとどめて発見されることはなかったし、子供達の授業風景をたまに見にいったけれど、そのやかましいことと言ったら😳😳😨。
教師の言う事は無視して当たり前、席を立って雑談をする生徒も普通。
これじゃあ勉強なんて、無理かも😨という感じ。

腹の底から生徒に向かって怒鳴る教師

数字好きな次男だったから、彼に見合った算数の授業はここではされていなかった。
だから私が学校に行って、次男を教えていた。

ある日、一学年が勉強しているクラスの隣で次男に数学を教えていた時だった。

XOXOXOXX❗️!!!!!!!!!!!!!
XXXXX❗️❗️!!!!!

おーー〜ーきな怒鳴り声が隣の部屋から聞こえてきた❗️
😳⁉️😳⁉️😳⁉️😳⁉️⁉️⁉️⁉️⁉️

半ばパニックになりそうな自分を抑えて、まずは次男に聞いてみた、

「あれ、なに????」😳⁉️😳⁉️
あ、あれ先生だよ。
あ、れ、先生って、、、大丈夫なの⁉️⁉️
大丈夫だよ。いつものことだから。❄️
い、い、いつものことなの?これが?
これが⁉️😳😱
だって、先生腹の底から声出して怒鳴っているよ⁉️

数学を終わって、隣の教室に出た時に目にしたのは、若い20代の男性教師が、6-7、8歳の幼い生徒10人くらいを相手に大声で怒鳴り、その怒鳴り声に震え上がっているのは何と私だけで、怒鳴られている張本人の子供達はシラー、ヘラヘラっとして床に寝っ転がって、怒鳴っている先生を床の上から眺めていた😳😳。

そして、こんなに怒鳴るのは、たまの出来事でもこの先生だけの事でもなく、女性教師も、そして何と私の夫も同じだったことを知った時には言葉を失うほどだった。😱😨

最後の日まで驚かされた😳❗️

次男の最終登校日の数学は、夫が急遽教えることになった教室の片隅でやった。
教室内には12ー14人、8ー11歳位の生徒がいたであろうか?

勉強してると、突然教室の外から12ー3歳の男子が教室内の誰かに大声で呼びかけ始めた。
もちろん授業の妨害になるので夫はその子に直接注意したがそんな事はお構いなし。

怒鳴り続ける教室外からの声に夫の声がかき消されるので、夫は教室のドアを閉め鍵をかけた
が、怒鳴り声とともに今度は閉められたドアを思いきり蹴飛ばしてきた😳😱
ドアが壊れるのではないかと思えるほどに蹴りつける騒音の中で夫は平生を装いつつ、騒音に負けない大声を出して授業を続ける😳😨。

こうやって授業を邪魔しにくる子供は、素行不良から登校禁止、家庭待機の処分下にある子供達だと言う。もちろん、こう言った事は珍しいことではない😨

楽しいこともあった友達との時間

子供達にとって楽しい事が全くなかったわけではない。
体育の授業と放課後にあった課外スポーツは楽しんでいた。

学校のマラソン大会。アボリジニの人の足はとても細いがとても強い

子供にとって、一緒に遊ぶ友達の存在はとても大切なもの。
学校での生活は上記のような、過激なものだったけれど、そんな子供の中にももちろん「良い子」
(日本人にしてみれば、ま、普通の子)と評される子供はいる。
幸い、そのような子供が近所にいたので、帰宅後は友達と身体中紅土まみれになって遊んだ。

ココナッツの木のある庭で走り回る。 ボールがあればみんな友達

アボリジニの子供達は通年裸足の子が多い。
私の息子達も家に帰ってきた途端に靴を脱ぎ、おもむろに外に走っていく。
結果、家の中の床は当然赤い足跡が歩いている模様となる。
この模様を拭き取るのが私の日課でもあった😅。

シャワーに入っても落ちない土の色

ほぼ毎日、近所の子供達が数人遊びに来ていた。

学校と家の庭で友達と

ホープベールを6ヶ月後に出た以降しばらく次男が言っていた事、「ホープベールでの時間は、自分の今までの人生で最悪な時間だった。」と。

追記ーその後10年が経ち子どもたちは今「あれはあれでいい経験だった」と言えるまでに成長したことを感謝している♥

教師にとってチャレンジに満ちた職場😢

今の時代に、先生が生徒に向かって怒鳴り散らすとはなんと時代遅れな教育方法か⁉️

と思う方は多いと思う。
私もそう思ったので、夫にきいてみた。
他にもっとポジティブな鎮圧方法はないのか?みたいに。

で、夫が言うには、夫も初めてこの教育現場ーつまりアボリジニの子供達を教育する現場ーを見たときには、同じ様に感じたと。
しかーし、
彼(夫)の長くはないこの現場での経験と、今までこの教育現場で働いてきた他の教師の経験から、「例え10分15分でしかなくとも、例え一瞬であろうとも、子供達を静まらせ、教師の声が聞こえる環境を作るためには、今のところ、この環境=つまりアボリジニの子どもたちの生活様式、親子家族関係や文化、価値観等によって培われた子どもたちのあり方を考え、相対するとき、教師が子供に負けない声を出して、瞬時でも教師の言葉が聞こえる時間を作り出し、その時に教え込むのが一番効果がある。」と言った。😢

教師にとっては何とも哀しく、ストレスの大きい教育環境と言える。

あのまま1年間ホープベールにいたら、夫は高血圧による脳内出血かなんかで倒れていたかもしれない、と6ヶ月後に去って思った。

アボリジニの歴史について少し

ここで少し、オーストラリアの原住民アボリジニについて書いておく。
以下はWikipedia からの抜粋 アボリジニについて

欧米諸国の移民によって差別と迫害を150年もの間受けてきたアボリジニの民の人口は、
1788年のイギリスからの移民が始まった時点では100-50万人はいたであろうこの民は、
1920年の時点では 僅かに7万人にまで減少した。
(Wikipedia 参照)

権利回復

アボリジニの市民権は、1967年にようやく認められた[28]。

1993年には先住権が認められ、元々のアボリジニ居住地域の所有権が認められている。
今日ではアボリジニの大半が都市部に住んでいるが、政府から支給された住宅に住みながら、一定の伝統的生活を営む人もいる。

白人主流社会に同化し仕事を持つ一方で伝統舞踊に興じる人もおり、今日では伝統と欧米文明の双方を独自に組み合わせた生活をするアボリジニの民が大半である。

しかし、
政府から支給された公的扶助を糧に堕落した生活に陥るという、他の少数民族同様の社会問題も見られる。Wikipedia より抜粋

こういう背景を考慮すると、
このホープベールキッズの態度は、裏を返せば、学校という建物、教室という狭い環境の中で椅子にじっと座って学ぶということに対応できる能力を培えるだけの家庭環境が整っていない
とも言える。

人口1500人ほどしかいないこのホープベール村の95%以上が、アボリジニなのだ。
教師の多くは白人もいるが、ホープベールはアボリジニの村なので許可がない限りは、この村に外部者がその土地を所有しホープベールに住むということは出来ない。

勿論、この村には役場もあり小学校と幼稚園もある。
その他にも公共機関があるから、ここで働くアボリジニや勿論一般のアボリジニの民の中には近代文化にうまく適応し、近代文化の有様を楽しんでいる人たちも少なくない。

とは言っても、
その他のホープベールのアボリジニの民には、アルコールやタバコ、ドラッグに溺れ家族を顧みない、顧みる能力を培われないままに大人になった人も少なくない。

結局は、
生活の物質的環境は、政策と言う名のもとに改善している様には見えるが、
肝心な「人間のあり方」という点については、外部からの何者によっても変えられるところは多はなく、各々に、気づきと価値観と世界観等の重要な変革が起こされない限り、代々の悪循環の中から抜け出すことができないままに時だけが過ぎていると言えるのかもしれない。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
次回は、もちょっとホープベールでの生活について書きます。

アボリジニの村 にて その3:驚きの生活編

是非また、お越しください。

Cororin

この写真の中に3匹の動物が見えますか?
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