アボリジニの村で、驚きの生活その1:移住の理由編
ホープベールの夕焼け

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今日は、オーストラリア移住後から6ヶ月間の、原住民アボリジニの村での生活について書きます。😆

ニュージーランドからオーストラリアへの移住の前に、最低一年は、ホープベールにいるようにみんなで頑張ろう!と思ってきたにもかかわらず、自分たちの思いとは裏腹に6ヶ月で終ることなったホープベールでの時間😨。 どうしてこうなるの ⁉️⁉️⁉️

この記事では、何故わたしたちがアボリジニの村ホープベールの村で暮らすようになったのか?について書きます。

以下この記事の続編もよろしければ読んでみてください。

アボリジニの村 にて その2:学校生活

アボリジニの村 にて その3:驚きの生活編

人生って、自分ではコントロールできない事がある。
そして、
自分の計画していない路線で生きなければならなくなった時、自分では予想もつかないチャンスとチャレンジを与えられるんだなってこと今、改めて思う。

では、BGM GOD WILL MAKE A WAYを ON にして.

Let's start !

日本からニュージーランド、そしてオーストラリアへ

結婚後約7年間を日本で過ごし、ニュージーランドでも約7年間を過ごした後、オーストラリアはケアンズの空港に家族五人で降り立ったのは2012年1月だった。


ニュージーランドにいた時は特に、ニュージーランド以外の国に住みたいと考えたこともなかったし、初めての「自分達の家」を持ち、息子も3人に増えてさらに賑やかになっていた。

幸せだったか?と単刀直入に聞かれれば、「Yes」と答えようとすると胸がチクリとする様な「痛み」のある時を過ごしてもいた。
なにせ、不信仰クリスチャンとして神様の訓練を受けていた時期でもあったから😳😄。

けれど、聖書について学ぶ機会を与えられてからは、私の気持ちはだいぶ落ち着いてきていた。
それは、「私のためにその命を捧げてくださった「イエス様」と言う方について聖書を通して学んできていたからだと思う。

神様に頼り、つぶやく様に、または時に叫ぶ様に心の中でイエス様に向かって祈る中で、、
夫に対する不満=怒りの気持ちを少しずつコントロールできてきていることを感じ始めてもいた時だった。

さて、NZで夫は、
自分の子供達を「ホームスクーリング」というシステムを用い、上の息子二人を一年ずつ交代で家で勉強を教えていた。
その一方で、子供が行くの学校から学童預かりの何人かに個人レッスンの教授をしていた。

つまり、私の夫はほとんど毎日家に、私と一緒に、居た。
おまけに、学童の歳になった息子たちもホームスクーリングのために、家に居た😅。 つまり家族みんながいつも一緒だった!

私は、放課後に個人レッスンを受けに来る子供達も含め、数人の子供達を学校からピックアップし、家で預かっていた。

そんな中で、夫が突然⁉️言い出したこと。
「オーストラリアに、自分の興味を惹く仕事の募集があるんだ」と⁉️😳😳😳

なんの仕事かというと、アボリジニの子供達を対象に、クイーンズランドの遠隔地の学校で、D.I .「Direct Instruction」と言うアメリカのカリキュラムを導入している。このカリキュラムの教授法を、先生に指導する「指導者」なのだとか。

ふ〜ん😒

結婚してからこれまでの14年間で、夫は、自分にできることを仕事としてやってきていたが、
こんな風に、「自分が、明らかにやりたいと思える事」を表出したことなんかなかった。

だから、その募集に応募してみることに、彼の妻は取り敢えず賛成の意を表した、、、。

結果、本採用の前に実際の現場を見てみて、少し経験してみるということで、その後夫は一人隣国であるオーストラリアのケアンズに飛んだ。

オーストラリアの原住民アボリジニの村

夫がケアンズに飛び、アボリジニの村ホープベールに行ったのは、10月。
南半球にある人口約1500人のホープベールは、基本的には雨季と乾季の二期しかなく、10月は乾季の後半に当たる時期。
しかし熱帯気候区にあるホープベールの乾季は、日中の気温は30度を優に超えるしおまけに多湿。

ホープベールのホームページ 英語

単身で赴任した夫に与えられた3LDK の教員住宅は、戸棚のあちこちに大きなゴキブリの死骸が散乱😱。 夜には、生きた奴も出る。つまりは、管理されていず、それまではあまり人が住んでいなかった住宅らしかった。

ある朝、外を眺めた夫は、雑草が伸び放題の敷地の中に7頭もの馬を見た!野馬⁉️

アボリジニの村 HopeVale
ホープベール。朝起きてみると何と!😳野生の馬がウチの裏庭に!全部で7頭も‼️

骨と皮だけのような野良犬の様な誰かの飼い犬もウロウロしていると。

今日は、学校の先生が(連絡も無く)欠勤したから、自分が授業を教えたと。
先生が無断欠勤⁉️

おまけに担任以外の先生による授業は、通常子供たちはコントロール不能状態。

家庭での生活においては、食器は、洗っておけば1時間もすると自然乾燥完了!という暑さ。

ゴキブリも虫も嫌い、
野馬に野良犬、
先生が無断欠勤するし、 子供たちは新参教師の夫を全く舐めているし⁉️
そして、蒸し、暑い☀️

ホープベールという所は、快適をこよなく愛する夫が「好んで住みたい」と思えるようなところでは到底ないように感じた。

この数ヶ月の経験の後、夫が再びホープベールに戻って仕事をしたいと思い得るとは、その妻には到底思えなかった。 にも関わらず!

え~~~~~~~⁉️😳😳😳(妻)

私達は翌年の2012年1月にニュージーランドのオークランドからオーストラリアのケアンズへ家族5人で飛ぶことになった✈️。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

今日は何故にオーストラリアの原住民アボリジニの村ホープベールに来たのか?そして夫の目から見たホープべールがどのようなものだったか、についてでした。


その2では、アボリジニの村での家族五人の生活について書いています。
どうぞ、訪ねてみて下さい。

アボリジニの村 にて その2:学校生活

Cororin

クックタウンの海辺で、ポツン。
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