[総括長編] 不信仰クリスチャン奮闘記

Contents

こんにちは。

「じっくりと神イエスキリストについて」の第二弾です。
第一弾はこちら
オーストラリア一周の旅に出た本当の理由

貴方は、キリスト教に何らかの興味を持っていますか?

では、不信仰クリスチャンだった私が、
いかにして「不」のないクリスチャンへと変えられてきているか
について書いていきます。

では、BGM を ON にして、
GOD WILL MAKE A WAY
https://youtu.be/RsMAXhc0QTs

今回も長くなりました!

果たして何人の方が、最後までたどり着いていただくことができるのでしょうか!?😅

お時間のある方のみ、挑戦してください。

Are you ready?
Let's begin!

「不信仰クリスチャン奮闘記 」

どんな風に不信仰だったか?

私は、20年以上前に神イエスキリストに従って生きる志を与えられた、
クリスチャンです。

けれど、「志し」はしたものの初めの約8年くらいは、
神様を信じれていなかった、いわば不信仰なクリスチャンだった。

どんな風に「不信仰」だったかというと、
まずは、教会に行きたくなかった😲。

何より説教に関心がなかった。
結婚、育児と人生において新しいことに直面していた時だったから
2000年以上も前に存在していたイエスキリストの事よりも、
目の前にある現実に目も心も奪われていた。

教会に行くために、
乳幼児の息子達のお出かけ用の準備を夫の協力なく一人でして
教会に行くことに、孤独を感じていたし、

日曜日に教会に行っても、
幼い子供が一緒のため、牧師の説教に集中できないことも多かった。
居眠りしていたことも多かった。

だからいつも教会に行かない理由を探していた。

更に、
夫婦で意見のすれ違いがあったその夜でさえも
寝る前に夫と一緒に祈る時を持たされた!?

夫が妻(=つまりは私)に対する彼自身の不寛容さについて
神様に許しを請うことを聞くことなんか、
苦痛以外の何物でもなかった。
謝るべき対象は、あなたの妻、この私ではないの????
みたいに。

だから、「祈ること」もしたくなかったし、
祈ることそのものに何の力も価値も見出してはいなかった。
いい事、きれいごとを並べているだけに聞こえたし、
そんな思いで自分が
「神様への祈りの言葉」口にするという行為は、
自分の気持ちを欺いているように感じたし、
神様に失礼だとも感じていた。

結婚後日本で過ごした7年間と、
ニュージーランドに行ってからの約一年半以上は、
ずっとこんな感じだった

つまり、洗礼を受けた後8年以上もの間、
私は不信仰なクリスチャンだった。

神イエスキリストを信じようと決心した理由

不信仰って、
じゃ、なんでまた、イエス様を信じようと
決めたの?
 
そうなんです、
実は、ニュージーランドにワーキングホリデーに行ったとき、
未来の夫のお母さんの家やその友人の家でお世話になったことがあって。
みんなクリスチャンで、みんなとってもいい人たちだった。
イエス様を信じようと決めたというよりは、
私が出会った人たちみたいに、素敵な人間になりたい
と思っていたんだと思う。
それで、夫と結婚するということが決まった時に、
夫が私にクリスチャンになってほしい、と言った。
 
で、クリスチャンになって素敵な人になれるんならいいな、そう考えた。
 
そんなんでいいわけ??❓?
なんか、理由が、不純じゃない!?
 
実は私もそう思わないではない。
でもね、
ニュージーランドで出会ったクリスチャンは、
みんな本当にいい人たちで、
クリスチャンになって、
こういういい人になれるんだったら、
クリスチャンになる、
イエス様を信じる、と。
 
そ、そんなんでいいの!?
 
切っ掛けは、どんなものでも有り得るんだと
今は思う。 
 
そして、自分の経験を通して言えることは、
「信じる=信仰」というものは
初めから100%があるんじゃなくて、
成長していくものなんだってこと。
 
「愛」と同じかな。
愛も信仰も目には見えないけれども私たちの心の中で生きているもので、生きているだけではなくて、成長するもの、させるものみたいな。
 
神イエスキリストを信じると決めた時から、
神イエスキリストが、私たちの人生に関わってくださり、
私たちの信仰を成長させてくださる。
これが今、20年以上の私の経験を通して実感してること。
 

聖書の神は、その愛するものを鍛えられる

 
でもね、神様も私のねじくれた不信仰を良しとはされなかった。
だから、イエス様を信じると決心した時から
私の信仰訓練が始まったのです。
で、初めの信仰訓練の第一段階は、私の信仰への覚醒だった。
それに八年もかかったということかな。
夫が私にクリスチャンになってほしいと言わなければ、あの時あのタイミングでは、クリスチャンになっていなかったと思う。
ま、きっかけは何にせよ
結果的には、神イエスキリストを信じようと決心することができて、その後の8年間を乗り越えて今ここにこうして家族と一緒にいれるのは絶対によかったって、今の私なら言える。 感謝!

乗り越えることができなかったら、私は今、家族と一緒にはいなかったと思うから。

 
 新約聖書
新共同訳
ヘブライ人への手紙/ 12章 05節ー08節
また、
子供たちに対するようにあなたがたに話されている次の勧告を忘れています。
「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。
主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。
 
なぜなら、
主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。」
 
あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。
神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。
いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。
 
もしだれもが受ける鍛錬を受けていないとすれば、
それこそ、
あなたがたは庶子であって、実の子ではありません。
 
 
旧約聖書
新共同訳
エレミヤ書/ 29章 11節
わたしは、
あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、
と主は言われる。
それは
平和の計画であって、災いの計画ではない。
将来と希望を与えるものである。

宗教を信じるということの恐怖ーサリン事件

私がニュージーランドに行った1995年という年は、一月に阪神神戸大震災があり、六月には地下鉄サリン事件があった年。
オウム真理教という新興 「宗教による洗脳が、この日本で、人を殺人へ導いた」という大衆理解が広まり宗教というものは、洗脳されるから恐ろしいと多くの日本人が信じた年だった。

だから私も宗教というものに対して、これに似た恐怖というものは持っていた。

で、なぜに、キリスト教という宗教を信じたの?

洗脳に対する恐怖心は、どうしたのか?

前にも言ったけれど、それは単純な理由なんだけれど、
私が出会ったクリスチャンがみんないい人達で、
私もこういう人になりたい✨と思ったという
直観的な感じ。
実は、英語もそこそこできた訳じゃなかったから、
彼らの言っていることを十分に理解、検討できたわけじゃない😅。
言葉が分からなくても、感じるものがあったってことかな。
 
恐怖心はもう失せていた。
私が出会ったクリスチャンの人々に、
洗脳などという'うさん臭さ'は感じられなかったからだろう。
 
一つ付け加えると、
今は「キリスト教という宗教を信じる」というよりは、
神イエスキリストを信じる、と言った方が
私の気持ちにフィットする気がしてる。

クリスチャンになれば人生の全てがうまくいく!?

クリスチャンになったからと言って、
結婚生活がうまくいったとか
幸せをつかんだとか、
お金持ちになったとか、
人に好かれるようになった
とかという事はなかった

ここで一つ言っておきたいのは、
「神イエスキリストを信じれば
人生が楽になるし、お金持ちになるし、
いい人に成れて、病気からも護られるよー」
なんてことを、聖書は言っていない、書いていないということ。
キリスト教は人間に物理的、この世的利益をもたらすご利益宗教ではない。
誰の人生にもある、百人百様の試練は、神イエスキリストを信じることで、
神様からの訓練という意味を帯びる。
それは時に、
経済的貧しさであったり、
身体的、精神的問題で在ったり、
家族問題で在ったりする。
私の場合は多かれ少なかれ、どの試練もあったと思える。

しかし、
こういう問題の中にありつつ、
神イエスキリストが私たちのためにしてくださった「最高の愛の証」
それは「十字架上での死」の示す深い意味について
聖書を読み、再考を繰り返す中で、
その試練を乗り越えるための新たな視点と勇気とが与えられる。

クリスチャンだって病気になるし、金銭的には貧しい人はいっぱいいるし、
生活環境が貧しいままで、あるいは病気で人生を終わる人はたくさんいる。
そんなの当たり前の事。

何かを信じることで、目に見える物理的な問題が全く解決されるのなら、
世界中の人は今ごろ、その宗教の信者になっているに違いない。
でも、そうはなっていない。

でも、なぜか私たち人間は、
神様がいるのなら
なぜこの世の中に今も戦争や飢餓があり、
病気に苦しむ人が絶えないのか❓ という問いを持ち、

おまけに、宗教戦争までするし!
そんな神様、嘘でしょう!
偽善でしょう! と神の存在を否定する。

私にも、こう言いたい気持ちは、分からないでもない。

でも、
これは、神様の(神イエスキリストの)視点と、
人間の視点をごっちゃにしているからこういう考え方になる。

神という存在

まずは、
神という存在は、人間とは全く違う存在であることを知ることが必要。
神は、人間のために存在するのではないこと。
神は、人間のためにボランティア活動をするための存在ではないという事。

神先に在りき、
神、人を創りたもう。

人は、自分が奉仕する為に、その為の対象物を造り出す?
NO.
自分に奉仕させるため、自分の生活を便利にしたいが故に、
物を造り出してきている。

ロボットを造る目的は、ロボットが人間に奉仕する事であって、
人間がロボットに奉仕する為では、決してないはず。
なにかの間違いで、ロボットが人間のいう事を聞かなくなって、
ロボットが人間に対して、反抗するようになったとしたら、
それは、人間にとって「脅威」以外の何物でもない。
ロボットが人間のコントロールから逸脱した時点で、
人間はそのロボットを機能停止または破壊するはず。

人間は、今、創造主である神の存在を忘ている。
神が「目には見えない存在である」ことをいいことに、
自分の創造主である神を「存在しない」とし、無視して生きている。
この状態は、人間の創造主、神にしてみれば、
これは反逆と言える状態。

もちろん、
神は人間と違い全ての事に対して万能だから、
いつでも、私たちのような「創造主に反逆するような人間」を
機能停止、または破壊して、
新しい人間を造り出すことも可能。

けれど神はそれをされない。
それをする代わりに、神は私達に、
神と共に生き直す為のチャンスを与えてくださった。

それが、神イエスキリストの十字架。

神が私達人間を機能停止、または破壊して、
新しい人間を造り出すことをされない理由は何か?

それは、
神が愛に富み、慈悲深いお方であるということ等、
神の持つ多くの特異なご性質を知れば、
見えてくること。

でも私にはうまく説明できないので、
知りたい方は、
ハーベストタイムミニストリーズ を訪ねて、
神イエスキリストについて知ることから始めて、
自分で答えを見つけてほしい。

私に与えられた神からの試練 その1

日本での私のはじめの約7年間の結婚生活は、精神的な面では過酷だった。

が、ニュー―ジーランドに行ってからはもっと追い詰められていた。

行きたくないけど仕方なく行っていた教会は
英語での説教だったためほとんど理解できない。
話されている説教の内容がほとんどわからないのに、
いったい何のために行くのか❓
教会に行くことにも、
自分がクリスチャンであることにも、
さらに後ろ向きになっていった。

そして、こんな状況の中の結婚関係もまた、
依然として私にとっては逃げ出したいほど苦痛なものだった。

家族が増える一方で、経済的には急下降の一途。
将来の事を考えれば不安しかないような時間だった。

分かり切れない英語環境の中で、
二人の子供たちを抱え、銀行口座の残高が下降する一方の生活。
夫との意見と思いの食い違い、すれ違い。
自分にも何か収入に繋げることができないかと思いながらも、
それを見つけられない苛立ちと焦り、怒り。

夫と派手目に喧嘩した夜、車で飛び出した夜の空港で、
滲むオレンジ色の電燈を眺めていたこともあった。
行く当てなんかあるはずなく、
結局
夜遅くに同居させてもらっていた義理の母の家に帰った時、
小さい義理の母が冬の冷たい夜、外に出て来て私を迎えてくれた。
Satomi, I love you.
敬虔なクリスチャンである義理の母は一言、私にそう言って、
抱きしめてくれた。

夫婦でありながら
「すれ違いの感情と関係」をだましだまし続ける時間。
だましだましとは言ったが、自分の気持ちをだますつもりはなくても、
通わない、すれ違いの関係をどういう言葉を、どのように話せば
解決の糸口が見えてくるのか?
それが分からなかった。

試行錯誤してはみたけれど、成功したと私が感じることは、なかった。

こんな状況の中でも、
自分たちの住む家を購入し
第三子を妊娠。

「家族」の外見は世間一般のそれと似て、良さそうに変化していった。
けれども、関係性に関する苦痛は変わらない上に、つわりの苦しみが輪をかけた。
そして、夫婦の在り方は私の中でどんどんと悪化していった。

神イエスキリストの救いと導き

それでも、
そんな苦しみは他人にはわからなかったと思う。
人は外見を繕うことが上手だから。

自分の気持ちがこんなにネガティブなのに、
お腹の子が生まれてきたら、やっていけるんだろうか?
いっそ、一人日本に帰ろうか?

ここまで追いつめられると、もともと

クリスチャンであるという自分について
斜に構えていた私には、
もう
イエス様に祈るとか、助けてもらうなどという思いは
吹き飛んでしまっていた。

自分の夫を信頼できない不満感と不安感とつわりの苦しみ、
大きくなるお腹を抱えての身体的不自由さなどに
身も心も追い詰められていた。
そんな時だった。

当時4歳前だった次男が、
子供用のクリスチャンソングが100入ったCDをかけ、
鼻歌を歌い、私の周りで踊りながら、
その歌詞が書いてある絵本を持ってきて、
私に読んでくれと言ってきた。
「もう、自分で読めるんだもの。自分で読んだら?」と
心の中で思ってはみたものの口には出さず。

笑顔満面でハッピーな次男がその手に持ってきた本を受け取り、
ソファーに深く腰掛けたまま、
沈み切った気持ちの私は、
仕方なくその絵本を読み始めた。

その時だった。
実は今でも、何がきっかけで
自分の中にその聖句が浮かんだのかわからないのだけれど、
聖書の有名な以下の聖句が明らかに私の心に浮かんできた。

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、
あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。
そうすればたましいに安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。
(新約聖書マタイの福音書11章28〜30節)
聖句解説リンク;聖書入門.com

この時の私は、
神イエスを信じることを決心してから既に8年以上がたっていた。
なので、この聖句は何度となく聞いていたので、頭では知っていた。
けれど、この時、この聖句が頭に浮かんだと同時に涙があふれてきた。

「ああ、神様はいつの時も、この私に『私のところに来なさい。
私があなたを休ませてあげよう。』とずーっと語りかけ続けてくださっていた。
にも拘らず、私は、そのことに今まで8年以上もの間、
耳を傾けようとしないで来たんだ」と。

「自分に何ができるのか、どうしたらいいのか❓
夫がこうしてくれればいいのに。

こうしてくれるはず。

どうしてしてくれなの⁉

どうしてわかってくれないの⁉」など、
私の中には、夫に対する言葉にしない大きな期待と、
それが成らないことに対する大きな不満が充満していた。

イエス様は、そんな私を
ずーっと見ておられ、
ずーっと呼びかけ続け、
ずーっと待っていてくれた。

私はこの時初めて、
神イエスキリストの言葉を心で聴いた気がした。

本を読んでいた母親が、
突然涙を流し始めたのを見た次男には、
その涙の訳など分かるはずもないのだが、
彼の私への励ましの言葉はこれだった。
Mummy, NEVER GIVE UP!

聖書について学びたい!

それ以降、私に聖書について学びたいという気持ちが湧いてきた。
けれど、私がいたところはニュージーランド。

日本語の旧約聖書も新約聖書も持ってはいたが、
それを読むだけでは分かりきれないことばかり。
知りたいという欲求があるのに、
知るための手段が見つからない時間が続いた。

出産後、聖書について学びたいという欲求は、
三男の育児という現実問題の後ろに追いやられていた。

それが、
クリスマスの時期、ある日本人家族の家にクリスマスパーティーに誘われていった時だった。
なんと!
日本で30年間も宣教師として働かれたニュージーランドの女性宣教師が、
日本語で一緒に聖書について学ぶ時間をもとうと
呼びかけてくれた。

これぞ神の導き!  本当に私はこの時、そう思った。

それで2,007年から、ニュージーランドにいながらにして、
週一で日本語で聖書が学べる機会を与えられた。
学んだことがどれだけ知識として身に着いたかは、別の問題としても、
ニュージーランドという異国にいながら、
自分の言葉で、
学びたいと思うことが学べるということの有難さ。

特に「神イエスキリストの教えに従って生きていこう」という同一の世界観をもって
共に学び、話し合い、支えあうことができる友が与えられたということは、
その後の私にとっては、
本当に大きな神からの恵みだった。

もし、私にこの交わりが与えられていなかったとしたら、
私はやっぱり、
一人日本に帰ってしまっていたかもしれないし、

そうだったら、
今こうして家族でオーストラリアにいることはなかっただろう
と思える。

2007年以降から、初めの8年間を含む
今日までの20年以上の時間は、
私にとっては真に、人生を通して
「神イエスキリスト」という方を発見、知り、体験、するために、
私の人生に設定された時間と思える。

私に与えられた神からの試練 その2

過酷な結婚生活8年を乗り越えた後、
夫婦関係はどうなったか?というと、
依然、山あり谷あり。

これも当たり前。

山の高さは前よりも低くなってきていると感じるし、
谷の深さも時に浅くなってきたようにも感じる。

そうかと思えば、
オーストラリア一周の旅の途中には、今までの20年間以上でで最悪!WORST!
と思えるような時を経験した。
いよいよ結婚して一緒にやってきた20年以上の時が水の泡に化すか!?
と思えるような試練だった。

キャラバニング中だったので、
家族は四六時中一緒だった。
子供の前では、夫婦共に氷の仮面をかぶり、
感情のない、必要最低限の日常的会話を交わすだけの
無味乾燥な時間がしばらく続いた。

こんな無味乾燥な時間に耐え切れず、
話し合いの誘いをかけてくれたのは、夫だった。
涙鼻水😰の混じった話し合いでは、
お互いが密かに
美しい断崖絶壁の絶景を前に、
(ここから飛び降りたら、、。)
と考えていた事まで話すことができた。

そして、
結婚21年目の仕切り直しをした。

この話し合いの前、私はこんな思いを抱いていた。👇
20年一緒に過ごしてきたのに!?
なーんで、こんなにもアナタは、私の事が分からないの⁉
20年という時間の中で、アナタは私の何を見てきたの⁉
私は、物事をそんな風に見る人間じゃないよ!
20年も一緒にいてさえも、アナタは私の事をこんなにも分かっていないなんて!
この先どれだけ長く一緒にいても、
もう分かり合えることなんか無理
一緒にいるだけ無駄
と思って絶望しかけていた。

なんて独りよがり、自分勝手な考え方!と今ならそう言える。

「じゃ、あなたは夫の事を一体どれくらい知っているというの?」
「夫は、あなたに我慢していないと、言える?」
この二つの質問を当時返されたら、
私の口から出る言葉はなかったはず。

こんな私に、聖書は言う。
しかし、天地創造の初めから、
『神は人を男と女とに造られた。
それゆえに、人はその父母を離れ、
ふたりの者は一体となるべきである』。
彼らはもはや、ふたりではなく一体である。
だから、神が合わせられたものを、
人は離してはならない。

(新約聖書 マルコによる福音書 10章6-9節)

この聖句を解説しているサイト;神様がともにおられる神秘

夫から離れることしか頭になかった時に、私の頭に浮かんだ聖句がこれだった。神様は、「神が合わせられたものを、人は離してはならない」と言っている。だから、わたしは「夫から離れるべきではない。」

神様が、離れるべきではないと言っているのなら、
離れるべきではないんだ、きっと。
別れちゃ、ダメなんじゃん!!
別れられないんじゃん!!
😡😨😰😖😟🥺😐

神様が別れるなと聖書で言っているからという理由以外に、
もちろん家族関係に及ぼすであろう影響についても自分の中で考えた。
そして、
何一つとして自分以外の人に「良い」と思える理由は見つからなかった。
子供たちも、夫と私の家族も、誰も喜ぶはずはない。
みんなきっと驚き、戸惑い、
なによりも子供たちは大きな悲しみを抱くだろう
と私は思った。

そして、いろいろ考えている時に、
一つの新しい視点が与えられた。

「神様が結び合わせた私達なら、
神様が私たちを助け導いてくれるはず。
もしかしたら、神様は、
今なら、別れずともやり直しができるから、
結婚後20年の今ならやり直しができるから、
こうして仕切り直しをする機会を
私達に与えられたのかもしれない。
結婚30年後ではなく、
結婚後20年の今ならまだ仕切り直しができるから、と。」

はぁ~?
と思う人が多いと思うが、
私の心はこう思った時に、
決まった。
見つめる方向を変えることを。

別れる方を見るのではなく、
別れないで一緒に夫婦をやっていく
方向を見つめていこうと。
神様の助けにすがることを決めた。

やっぱりこの時も、
お互いが、イエス様を信じていこうと決めた人間でなかったら、
私たちの結婚は終わりになっていたな、
と思う。😅

一難去ってもまた一難。
みんな一緒!ね😉

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
また是非、お会いできることを楽しみにしています。

cororin

追記;夫の名誉のために記しておきいますが、
彼は、とてもいい人です。私が神イエスキリストから離れないように
日々気を使い、守ってくれている人です。