ころりんの長いプロフィール
140km 以上の直線道路を抱える ナラボー平原は 航空機の緊急着陸路を含む。

こんにちは。

訪ねていただき、ありがとうございました。
ころりん といいます。
以下、私のプロフィールです。

このブログはこんな私のつぶやきです

私は、50年以上前の丙午ーひのえうま年生まれ。
田舎のある家庭の末っ子長女として誕生。

小学校時は、
全校生徒約160名、クラスメート29人という小規模、アットホームな小学校で井の中の蛙のように活発に過ごす。

中学時は、
校内暴力が猛威を振るい、社会の中でさまよっている多感な若者に焦点が当てられた時代
そして、
多くの若者と社会全体がテレビで<ahref="https://ja.wikipedia.org/wiki/3%E5%B9%B4B%E7%B5%84%E9%87%91%E5%85%AB%E5%85%88%E7%94%9F" rel="noopener noreferrer" target="_blank">金八先生シリーズを見ては、自分の心の空虚で乾いた部分を埋めようとしていた、
そんな時代だった。

そんな中で私という一人の中学生もまた、
自分が「井の中に居た」ことに気づき、漠然とした不安を抱えつつ、自分という人間の本当の居所を探していたような、多感な思春期を過ごす。

高校三年間を通じて、教師友人に恵まれて過ごしたが、進路を考える高校三年時には、将来の夢ー仕事‐成りたいものに思い当たるものがなかった。

そんな時、
母親からの提案を丸のみにして、看護学校に行く。

看護学校では、
「受け持ち患者さんの死」を通じて初めて『死』というものを身近なものとして対峙する事になった。

その後ホスピスでの勤務を含めた看護師として働いた9年間では、
多くの患者さんとの尊い関わりが、自分と人、人間の生と死について考えるきっかけを与えてくれた。

看護師としての生活は、
収入は安定していて、それなりの人生を送っていた。

そう、そ、れ、な、り、の ね。
そう、そう思う。
あの時はあの時で、
自分の収入のほとんどすべてを自分の生活と、自分を満足させるための事々、将来のための備蓄など自分の人生を自分で仕切っているというような感じを抱いていた反面で、
どこかで何かが満たされずスースーと風が吹き抜けているかのような感覚があったことも否定できいない。今思い返すとそれなり、という表現がしっくりくる生活だった。

29歳、
結婚への固執を捨てて、一人New Zealand へワーキングホリデーに行き、神イエスキリストについて知る機会を与えられる。
日本に帰国後ニュージーランド人と結婚wをきっかけにキリスト教の洗礼を受け二人の息子に恵まれる。

2004年に
New Zealand に移住し、夫の母の家に同居。
半年後に我が家を購入するまで、神イエスキリストに敬虔に従う義理の母の姿を見つめながら過ごす。

NZでは三男も授かり、7年間になる生活は次第に安定してきていた。

にも拘らず‼️

2012年1月

夫がオーストラリアでの仕事を与えられたことから、家族五人でオーストラリアに移住する事になる。
なんでこうなるかなー?

寄留生活の始まり

2012年 から2019年始めまでのオーストラリアでの丸7年間を振り返る時、「ど~うしてこうなったかなぁ?」と思うことがいくつかある。

アボリジニの村 Hope Vale ホープベール

夫の仕事は、
オーストラリアの原住民であるアボリジニの占有地 Hope Vale ホープベールの公立小学校で、「アメリカの教材を用いての教え方を、先生に教える」仕事だった。

蒸し暑くて、紅くて、依然未開的?なホープベールでの約6ヶ月間の生活は、私たちの人生にとって、衝撃的とさえ言い得る時間となった。

ホープベールは、ケアンズの北約370kmにあるアボリジニーの占有地 caption]

アウトバック、ケープヨークへの旅

なんでこうなるかなー?
6か月の後、私達の将来の展望に相反して訳あって、夫はホープベールで仕事を失い、私達は住む所を失った。
途方に暮れる間もなく荷解きされたばかりの荷物を再び箱詰めにしながら、定めた一つの目標が「オーストラリアの最北端ケープヨークへのキャンプ。」だった。
オーストラリアの最北端ケープヨークへ行く旅は、オーストラリアのアウトバックの旅を愛するする人にとってはいわばいつかは挑戦したい旅の一つ、らしい。

ひたすらに続く紅土の道、
車により立ち昇る紅土の煙、
果ての見えない荒野、草原、
そびえたつtermite mounds 蟻塚。
人の住まない荒野を流れくるCREEK クリークの水は、そこに泊まるキャンパーの「水の必要」の全てを満たす。

Malgrave Road House そびえたつ蟻塚

暑くて、
紅いホコリまみれで、
経費も水も食料も可能な限りの節約の旅だったけれど、
すっごく楽しかったことしか思い出せないのは、なぜだろう?

私たちは、
この[fontsize size="4"][color color="orange"]紅いホコリまみれの時間の中[/color][/fontsize]で、
[fontsize size="4"][color color="pink"]忘れきれない何か[/color][/fontsize]を植え付けられた。

神様のタイミング

[color color="pink"]ジュラテン[/color]

ケープヨークから戻ってきたものの、私達には「帰るところ」が無かった。

とりあえず、しなければならないいくつかのお役所手続きをするために、一番近くて大きな街だったケアンズに行くことにした。

「通ったことのない道だから」「確か、この道沿いにキャラバンパークがあったような?」という理由で通ったのがJulatten ジュラテンという小さな村?町?集落?。

海岸線からの上り坂で約80ものカーブを経て、標高約500メートルのところにジュラテンはあった。

乾季に当たる7月末、私たちが目にしてきたケープヨークの乾いた景色とは対照的に、ジュラテンは青々とした大地が広がっていた。

[color color="green"]「わー、こんなところに住めたら、わたし、幸せだなー」[/color]

ニュージーランドを思わせるその景色を見た時、自然とそんな言葉が私の口から洩れたのを今も忘れない。

tableland と呼ばれる台地の入口でありジュラッテンの入り口には、Julatten Van Park ジュラテン バンパーク、つまり、キャラバンパーク があった。⬇⬇⬇改名後、Tableland caravan park

テントで電気の使用無しなら、家族五人、一週間100ドルで泊まれるというため、
、ケアンズで用が済んだ後、私たちはこの[color color="green"]ジュラテン[/color]のバンパークに[color color="red"]戻ってきた[/color]。

[color color="pink"]クイーンズランドでも寒い[/color]

これまでずっと赤道に近いホープベールに住み、それより更に赤道に近いケープヨークを旅してきたので、私たちは寒さ知らずだった。クイーンズランドは、どこもこんなに暖かいんだ❕と思っていた。

しかし、
ジュラテンは標高500メートルであり、七月の末は季節的には冬。寒かった!本当に寒かった❄❄❄

気温7度の外気と私たちを隔てる物は、テントの生地一枚だけ。

熱帯気候の準備しかしていなかった私たちは、着れるものはすべて着て、掛けれるものも全て、新聞紙でさえ掛けたみたものの、しのげる寒さではないことを認めざるを得ず。

私たちの多くはない荷物を保管してある327Km 北にあるCookTown クックタウンの貸倉庫に[color color="red"]暖[/color]を確保するための物を取りに戻る計画を立てた。

[color color="pink"]神様からの毛布[/color]

クックタウンに行く前日、私達はジュラテンにある教会へ行った。
初めてこの教会の張り紙サインを村の集会場の壁で見た時に、夫は、この教会に行こうと言い、彼の妻は、あまりに質素で古っぽい教会の張り紙から、やってないんじゃないのー?と言った。

それでも夫は、
場所の確認をすると言い車を走らせた先に在ったのは、[color color="green"][fontsize size=4""]緑色のトタンで作られた大きな倉庫[/fontsize][/color]だった。

[caption id="attachment_1429" align="aligncenter" width="1024"] 下見に行ったジュラテン教会

 

教会らしき十字架も何もない、ただの緑色の倉庫
やっぱりやってないんじゃないのー?彼の妻は勝ち気取りで言った。

翌、日曜日の朝、夫は、息子三人と気乗りのしない妻を車に乗せて、昨日の緑の大きな倉庫に向かった.

その倉庫のシャッターは空いていて、その中に人々が見えた。
「あ!本当に教会だったんだ、この倉庫。」😲

ジュラテン教会は
緑のトタンでできたコミュニティーセンターを
借りている。

 

初めて訪問する教会で、礼拝に参加後、飲食をともにしながら交わりの時を持った。

初めての訪問者に、ここの人たちは親しみをもって話しかけてくれた。初対面なら当然のごとく、私たちが何者でどこに住んでいるかなどの話になる。

で、私は、私達の長くはないオーストラリアでの経緯を話したあと、「寒いですねーここは!」と、何気ない率直な一言を付け加えた。
そして、またこの教会に来ることがあるんだろうか?などと疑いながら、さよなら。

この日曜日の夕方、
私たちを訪ねてきた人がいると、キャラバンパークのオーナーが言う。

?🤔?🤔?🤔?🤔?🤔?🤔?🤔
知り合いの全くいないこの地で、私達を訪ねてくる人って、誰だろう?

オーナーの後ろに立っていたその男の人は、その腕に大きな袋を抱えていた。

なんと‼‼‼‼‼
彼は、今日教会で会ったIan イアンという人で、寒いと言っていた私たちのために、今日会ったばかりの私たちのために!
毛布を5枚持ってきてくれたのだった。
😲😲❤
一晩ではあれ、
人のやさしさと毛布に抱かれた私たちが、一週間ぶりに温かい夜を過ごしたのは、言うまでもない。

天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。旧約聖書 伝道の書から。なんでこうなるかなー?も含め、全ては神の時の中で

それから約二か月の間、私たちはこのキャラバンパークで、テントに住むことになる。

クックタウンから帰ってきた後は
Powered siteパワードサイトと言って電気を使えるサイトに変更し、依然テント住まいとはいえ日没後も灯りの取れる生活を
取り戻すことを(神から)許された。

この二か月の間に、
私はジュラテンの老人ホームで介護職としての仕事を与えられ、夫は子供たちの教育をQLD のホームスクーリングシステムを
用いてするためにその登録も済ませた。

こうして、
帰るところを持たなかった私達だったが、「こんなところに住めたら、私幸せだなー」と呟いたこのジュラテンに、仮住まいと呼ぶにふさわしいテントを常設し、非日常の中から、日常を築き上げていった。

神のなされることは皆その時にかなって美しい。旧約聖書 伝道の書3章乾季から雨季への変化も然り

私たちの日常は、教会の人たちの様々な協力によって形作られていった。

外に置いた借りたテーブルは、勉強机兼台所となり、

借りた電球と延長コードで、テント内の夜の灯が取れ、様々な近代文明の利器の充電も可能、トースターや湯沸かしジャグなどの生活便利品の利用も可能になった。

寒さも日に日に薄れていった。
このことに有り難いと思ったのもつかの間、季節が移り行く中で、乾季の終わりを思わせる雨が降るようになってきた。

通常、ここ熱帯気候帯の雨季の始まりは11月ころからといわれる。
熱帯気候帯の雨季の雨は、ものすごく、とてもテントの中で過ごせるものではないらしい。

キャラバンパークのトイレ・シャワーの近くに常設した、今は無き私達のテント。見た目はなかなか立派。

本格的な雨季になる前に、せめて、「雨をしのげる屋根」のある住居を探さねば!

時間のある時には、車を走らせて近隣の町に借家を探しに行った。
しかし、どんなハウスをレンタルするにしても、まとまったお金がいるし、最低は三か月から六か月以上の継続レンタルが条件。

ケープヨークへの旅では、
遠隔地であるが結にすべての物価が高く、予想以上に出費がかさみ、手元に残っているキャッシュはほんのわずか。今更ながらに思うのは、約6Km/リットルの燃費のパジェロで、
880Km を往復するなんて、正気なら考えられないこと。

あの時の私は、そんなことまで考えていなかった。

アウトバックの燃料の高価格と、パジェロの燃費の悪さと物価の高さを知っていたら、ケープヨークに行くことなんか、
絶対口に出すことさえしなかったはず。

今から考えてみると、、
あの時から、私の中の何かが変わり始めていたのかもしれない。😲😂

私達には、まとまったお金もなかったし、どこに定住する当ても無かった。

本格的な雨季までにはまだ時間はあるというものの、私たちのテントの上には、急遽購入した6x4m四方のシートが
かけられてはいた。しかし、雨は既にテントの脇からも浸み込んできていた。

どうしようか?

こんな風に悩んでいる時に、なんと今度はジュラテン教会の人の所有する借家が空き、そこを与えられた。

それも、通常の半分の価格でいいと!

この後、
大家さん兼クリスチャンファミリー兼お隣さんというマラービ夫妻と一緒に約5年弱の定住生活を楽しむ。

旅立ち

この5年間の間、
三人の息子を抱える家族に、日ごとの糧を維持する収入の道は、時に途絶えることはあっても、人の口づてに、紡がれてきた。が、将来につながるような有り余る収入はなかった。

にもかかわらず!

夢でしか無いと思っていたオーストラリア一周キャラバニングの旅に出てしまった!?のが、2017年4月。

以下、旅立ちに至る過程の詳細です⬇⬇⬇

長いプロフィールをここまで読んでいただき、ありがとうございました。

時間は止まることなく、時々刻々と今も進んでいます。ときに、自分たちの生活が停滞もしくは後退しているのではないかと思われるときでさえも。

お時間があれば、他の記事にもお立ち寄りください。
皆さんのご多幸を祈ります。

ころりん

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