アボリジニの村で驚きの生活 その3:日常生活編

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お元気でしたか?

今日は、アボリジニの村 ホープベールのその3、最終回です。

↓過去2の記事はこちら↓

アボリジニの村 にて その1:移住の理由
アボリジニの村 にて その2:学校生活

今日は、
熱帯気候区にあるホープベールでの日常?生活についてと、移住6ヶ月にしてホープベールを去らなければならなくなった訳について書きます。

BGM  God Will Make A Way をON にして

Let's begin !

洗濯、手洗い

ホープベールで住んでいた家は3LDKの教員住宅だったが、洗濯機がなかった。教育委員会の方で設置してくれると言う話ではあったが、それは直ぐには届かず。(結最後まで届かなかったが😅)

かと言って、毎日汗だくの生活をしていて洗濯しないでいれるわけはないので、仕方なく手洗いをした。

子供と夫を学校へ見送った後、毎朝家族五人分の、当然ながら子供達の真っ赤に汚れた靴下や服を、ゴシゴシと手洗して、干した。
せっかく干しても、運が悪いと午後のスコールが洗濯をびしょびしょに濡らすことにる。

熱帯気候区のスコールだから、降り出したのに気づいた時には時、既に遅し。雨は、ボツボツ、、ゴワー‼️‼️という感じ。でも長くは続かないで、スカッ!と通り過ぎて太陽がニコニコ。

運悪くびしょびしょになった洗濯をたとえ取り込んでも、手絞りしかできないので、翌日のスコール前まで干しっぱなし放置。

赤道に近いので、直射日光が当たるところならそのまま放置でも乾く。ただね、野馬が訪問していた時には、それに触られて、汚れることもなかったわけではないが😅。

Hope Vale

洗濯を三回しても乾くこともあった。☀️

が、高温多湿なので、たまに雨が続くと、軒下に干したが、高温でも、直射日光が当たらないところでは、洗濯が乾くには数日かかる事もあった。

では、スコールで洗濯もできるかと思ってやってみたがそうはいかなかった。😆
洗うには、やっぱりごしごしする必要があった😅。

アルコール制限地区の水曜日のパーテイ

アボリジニの人たちは、元来採取狩猟民族だった。
だから、「働いてお金を稼ぐ」と言うスタイルは彼らにとって新しい生活様式になる。
言いたい事はつまり、「働いてお金を稼ぐ」ことが当たり前の事とは思えない人たちも多い。

18世紀にヨーロッパからの移民が入ってきたことにより、彼らの生活は大きな変化を強要された。

アボリジニについて Wikipedia 参照

とはいっても、

酷い迫害を受け強制的に近代化をさせられてしまった今の社会で、俗に言う「文化的、近代的生活」と言うものに馴染まなければ、生活に困ることになる。それは社会的に見て良くないから、生活保護と言う名のお金が銀行口座に入る。

けれど、

移民によって持ち込まれたアルコールは''アルコール耐性のない''アボリジニを虜(とりこ)にした。つまり、働かずして生活保護のお金が入る毎週水曜日は彼らにとってはパーテイーの日になる。

ホープベールは、アルコール制限地区になっていから村内でのアルコール販売はない。だから40km離れた隣町のクックタウンで、アルコール飲料を買うことになる。

が、村に持ち込めるアルコール飲料の度数、数量が決まっている。
クックタウンで、アルコール飲料を買っての帰り道、クックタウンとホープベールの間で、警察が車の中の取り調べをしていることは良くある。

不幸なことに、私たちの住宅の両隣はアボリジニの家だった。夕方から始まるパーティーは、大音響の音楽と大声が夜中過ぎまで続いた。睡眠妨害でも困ったが、😖😩パーティをしている家の子供達は、こんな騒音の中で眠れるのだろうか?とずっと思っていた。

そしたら案の定、木曜日の朝は学校に来ない子供やボーッとしている子供達は少なくないと😵😪😑

切手のない郵便局

郵便局がひとつあった。
ある日、荷物を出そうと郵便局に行った。
「重さはどれくらい?」と郵便局のお姉さんに聞かれた。
「あ、すみません、測ってこなかったのでここで測ってください。」
と言ったら重量計がないから家で測ってきてほしいと。😳

手紙を出すための切手が欲しいと言ったら「切手はない」と。😳

郵便物の個々宅への配達はないし、お昼休みには2時間くら閉まる。

これが、ホープベールの郵便局だった😄。

毎日驚きつつ、いろんな「初めて」に少しずつ慣れてきて、家族の一人一人が、各々の生活のリズムができてきた頃。「こんな感じなら、年末まではここにいれるかな」と思える様になってきたのが、4-5ヶ月過ぎた頃だった。

hope vale African tulip

どうしてこうなるの⁉️
「さよならホープベール」の理由

夫は、先生の無断欠勤等のために、自分に課せられた職務以外の「教室で授業をする」ことが頻繁にあった。

そのために夫が本来の仕事が思うようにできないジレンマを抱える中で思いもしない事態❗️が生た。

それは、当時不在だった教頭先生のポジションを埋める必要が出たとのこと。そこで考えられたのが、教頭の職務と夫の職務を合併した「教頭」の職務が在職の先生方も含めた対象に公募された。

教頭の職務が合併されれば、夫の当時の職務追行はさらに難しくなること間違いないと考えていた夫だった。

が、ここで仕事を失えば、家族はオーストラリアで露頭に迷うことになる。よって夫は、気が乗らないながらも、ホープベールでの仕事の存続をかけてこの公募に応募した。

が結果は他の人がこの職務についた。つまり、夫はその職を失い、私達家族は教員住宅を出なければならなくなったということ。😳😳😨家族は露頭に迷うことになった!?

なんで、こうなるの⁉️

その時の私の心中は?と言うと、
「夫のこの仕事のために!ニュージーランドからオーストラリアに家族で移住することを決めてきたことくらい、雇用者側も知っているだろうに!?
にも関わらず、こう言う結果にするとは!?
私達は、放り出されたようなもんじゃないの⁉️」と言う様なものだった。

怒ってはみたものの、契約を確認してみると契約更新は6ヶ月単位になっていた。😳

つまり、契約の更新時期は本の一ヶ月後に迫っていた。

はあ😑。


私達はここに来る前、家族で良ーく話し合ってきたのだ。

ホープベールに来る前のNZで、オーストラリアに家族みんなで移住するか、それとも夫が単身赴任するか?2つの選択肢があった。みんなで話し合って、考えた結果、家族で移住することを決めたのだった。

あーんなに一生懸命に考えて、引越しの準備も、たくさんの家族や友人たちにギリギリまで助けてもらってようやっと済ませてきたのに、オーーストラリアに来て6ヶ月で、失職ー!?

ホープベールでの生活は、生活、学校、仕事環境としては、快適とはかけ離れたものになるだろう。だから、ホープベールでの生活に耐えられなくなったら、ホープベールを出ることになるだろうけれど、一年は、頑張ってみようとみんなで決めてNZ を出てきたのだった。


が、現実は、そんな私たちの思いとは別の方向に向かって動いていた。

私自身も、怒り、落ち込んだことは確かだが、家族の大黒柱としての夫の落胆は、もちろん私のそれ、以上でであった。😳😨😳😨😳😨😢

このオーストラリアで、このホープベール以外で、私達の知るところは何にも無かった、この教員住宅をでても、行く当ては無かった。

旅の始まり ケープヨークへ 面舵一杯

この住宅を出るまでに約1ヶ月。何処にも行く当てのない中で、荷物の整理を始めていた。行く宛のない私たちではあったが、夫は何故か「ニュージーランドに帰る」と言う選択肢を持っていなかった。

そして私には、日本に帰ると言う気は無かった。

そんな時、私の胸の中に秘めてあったものが、ふつふつと動き出していた。

ここホープベールからなら、オーストラリアの最北端は遠過ぎはしないんだよね〜😎。」

夫にこのことをつぶやき、その次には家族会議となった。当時、13、10、5歳だった息子達から、反対意見は聞かれなかった。

得てして、もともと行く宛のなかった私達は行く宛をオーストラリアの最北端Cape York ケープヨークへと定め、面舵一杯!

もともと、オーストラリアへ送った私物は多くはなかったし生活のために購入したものも多くはなかった。おまけに、購入したもののほとんどはセカンドハンドだったのでガレージセールを試みて売れ残ったものは、教会のセカンドハンドの店に寄付。

それでも後々の生活のことも少し考えて、ケープヨークへの旅にいらないものはクックタウンの貸し倉庫に収納。

パジェロ一台に、これからしばらく=期間未定の私たちの家となるテントと、その他必要と思われるものを全て積み込んだ。

今から思えば、家族五人の人生はこの時から、文字通り「旅さながら」のものと成っていた。自分達では争うことのできない力に引っ張られているかの様な時間をこれから過ごすことになろうは、この時は全く予想すらしていなかった。

後ろ髪引かれること無く、ゴッキーぶりと共に住んだ教員住宅を出て帰る所のないケープヨークへの旅に出たのは 2012年7月6日だった。

Map hope vale to saisia

ここまで読んで頂き、本当にありがとうございました。
この後の、紅い道ケープヨークへの旅 についてもお楽しみください。

紅い道 ケープヨークの旅ー1

紅い道 ケープヨークの旅ー2 

紅い道 ケープヨークの旅ー3 

紅い道 ケープヨークの旅ー4 In SEISIA 

紅い道 ケープヨークの旅ー5  ガンショット クリーク 

紅い道 ケープヨークの旅 6 WIEPA ウィーパ、Archer River

またお越しください。
cororin

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