オーストラリア一周キャンプ旅に出た本当の理由
私たち人間に夕陽は創れない では、誰が作る?

Contents

お元気でしたか?

昨年2018年に家族五人キャンピングカーでの16ヶ月間のオーストラリア一周の旅を終えました。

もし私が、私の友達の立場なら、必ずこう聞くと思う。

いったい何が、どうあなたの心に働くと、オーストラリア一周なんて言うことを考え、実行できるのお金もたくさんいるんでしょうに⁉

そうなんです、現実問題。

もし私の母が私達と一緒オーストラリアにいたなら、母はきっとこう言いたかったに違いない。

何考えているのよまったく‼️
定期的な収入は雀の涙ほどにも値しなく、
次男は来年が高校最後の年になり、
大学に行きたいと言っているんでしょう。
旅にお金を消費すれば、
子供の学費はどうするの⁉️
旦那と自分のも考えなさいよ。
もう若く無いんだから
あなたの老後はどうするつもりなの⁉️
だってどこにも無いんだし。
バカなこと言ってないで
どこかに定住して、仕事でも見つけなさ-い‼️
あまりにも最もで、私自身も頷けてしまうから笑える。

では、BGM を ON にして。⬇⬇⬇⬇⬇
https://youtu.be/1zo3fJYtS-o

Let's begin !

「旅に出ないという選択肢」を選べなかった!?

夢がありますか

夢を持つことは大事だよ、
ということをアドバイスとして聞くことは少なくない。

みなさんには今、夢 がありますか?    みなさんは、昔 夢がありましたか?

夢という言葉を聞いて自分の夢について考えた時に私が思い出す事は二つ。

一つは、小学校低学年の時にバレリーナになりたい!と思った事。
そして
もう一つは、幸せな家庭を持ちたいというもの。

これは小学校6年の卒業文集に「私の夢」というテーマで何か書かなくてはいけなくて、苦悩の末絞り出したものだった。

だからこれは無理して作った「夢」。

それ以降「私の夢」として思い出されるものは私にはない。
だからといって、私の人生が悲観されるものであったという事も全くない。

私についての記事はこちら⬇⬇⬇⬇
ころりんの長いプロフィール

昔の私

皆さんには「今の自分」と「昔の自分」と呼べる自分がいますか?

私の「昔の自分」は、
⬆⬆上の母の思いに完全に同調するくらい、この母の娘ここにありき的な現実主義だった。目に見えるものしか信じていなかったと思う。

だって私は、そこそこくらいの冒険心はあっても、お金については堅実?わかりやすく言えば「ケチ」な人間。

お金がすべてとは言わないまでも、お金は将来を司る一つの大きな要因と漠然と信じていた。

このオーストラリア一周の準備を始めた前後の経済状況は、あまりにも不安定、不透明だった。

この時期の私達の経済状況はというと、将来への預金となる定期現金収入はなく、預金通帳の残高はホープベールを出た以降確実に下降線の一途。

「昔の私」なら
こんな状況の中で、オーストラリア一周のようなどこかのアウトドア人類が考えるような事を思いつく程、無謀な性格ではなかった。

少なくとも、オーストラリアに来るまでは。

それなのに、旅に出た

「旅に出ないという選択肢」も「旅に出るという選択肢」と同様の確率で目の前にあったはず。

にも関わらず「旅に出ないという選択肢」を選ばなかった。

べなかった⁉️ ような気がする。

人生を導く力は、どこから?

では何故、「旅に出ないという選択肢」を選べなかったのか?

「私の方がその何故を誰かに教えてもらいたい!」と言うのが一般的な人に向けての答え。

しかし、実は、
今の私の中にはクリスチャンとしての、神イエスキリストに従うことを志す、小さき者としてのもう一つの答えがある。

それは 神様のせい‼️というもの。

もう少し言い方を変えると、神様が私の人生を導かれたと言うもの。

God made my way.
神が私の道を創られた。

オーストラリア一周の旅に出たのは、神様のせい?

旅に出る前の私たちは、
Cairns ケアンズの北約 80km に有るAtherton Tableland アサートン 台地の北の端、Julatten ジュラテン と言うところに  借家をしていた。

子供達は ホームスクーリングで、夫が家で息子3人を教えていた。

夫が家にいたから私が外で働いて、日常生活費程度を得ていた。支出入はほぼマイナスの状況ではあったが平安ではあった。

そんな生活に終止符を打って出た、キャラバニング だった。

なんで、終止符を打つことになったのか?
それは、
キャラバンでオーストラリア一周 ‼️と言う名の一粒の種が、枯れる事なく花をつけて、開た?
開いてしまった?😅
開かされてしまった?😳から。

この夢の始まりについては、以下のリンクに。⬇️⬇️⬇️

確かに、家族でよーく話し合って、検討もしてみんなで決めた事。

なのに、今、私の中には決してそれだけでは無い、他の力が働いていたと言う強い思いがる。

そう、
「ケープヨークへの旅で植え付けられた種が、私たちの中で、守られ、育てられ、花開くように導かれた。」というような。

乾燥し、時に火によって焼かれるようなこの地にさえ咲く花がある。

あの時もし
私の母が私たちと同居していたなら、この記事の冒頭で書いたように母は彼女の娘、つまり私にこう言ったであろう。

何考えているのよまったく‼️
云云かんぬん、、
バカなこと言ってないで😲😨😡
どこかに定住して、仕事でも見つけなさい‼️

ってね。

もしあの頃、
母が同じ屋根の下に一緒にいれば、私たちの今は、違うものになっていたかもしれない。
今と違い、安定したものになっていたのかもしれない。そう、安定したものー。

どこかに家を借りるなりして、僅かであっても定期収入を得るための仕事について、コミュニティや教会との交わりも深まり、安.定.した.生活。

でもあの時母は日本にいて、
私たちの言う事を想像することさえできない80歳を超えた母だった。

私たちがやろうとしている事の事実をしっかりと知り得たのは、私たちが旅に出る前日の電話での会話だった。

空っぽになった家
窓の右端にキャラバンが見える「あの借家を出るの⁉️ 」

 「何考えてるのよ、まったく‼️、、、
    気をつけて、、、ねぇ、、。😢」

    明日の出発を前に、時既に遅し。

    ひとり娘の家族5人を心配する母に残された道は、   旅を思い留まるように止める事を諦め
     オーストラリアを放浪しようとしている娘家族の       安全を祈ることのみだった。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    

Aussi オージーのバケツリスト

この国では、
オーストラリア一周の旅は、多くの人が一生のうちに一度は考える事であり、「いつかはやってみたい」バケツリストに入っていることの一つ。そのへんは流石、キャラバン王国であることを示唆している。

だから私達がオーストラリア一周の旅に行こうと考えている事をAussi オージー の友人に話しても

そりゃいいね!
私もいつかは行きたいと思っているのよ。
僕も行ってきたよ!とてもよかったよ。
子供にとっては
旅してオーストラリアを見せる事は
学校で勉強するよりもはるかに有意義よ!

等々 、ポジティブな意見が聞かれてはしても、ネガティブなものは聞かれなかった。私達の計画を止める人を与えられない中、夢は結芽=ユメへと変わっていった。

NZ で所有していた家を売った「唯一有限の資産」を使って車とキャラバンを購入。

このキャラバニングに要する費用は衣食、住は有料キャラバンパークに泊まったときの宿泊代牽引車のガゾリン代、車とキャラバンのメインテナンス費用、車両保険と定期点検そして、博物館や美術館などのアクティビティ施設、国立公園への入場料などがある。

キャラバニング中の銀行口座残高はキャラバンニング中疑い無く今より加速して一直線に下向決定。
で、どのくらいの速度で下降するのかの予測は、不明。少なくみても、数百万円?それ以上?

「昔の私」からすれば、将来に収入の予定のない中、数百万円もの大金を使うこと=キャラバニングに行くなんて事は夢うつつの中で聞くうわごととしか言いようのない事のはずだった。

にも関わらず、
オーストラリで5年を過ごしていた「今の私」は、旅に出た。
出てしまった!
押し出された!

誰に?
神様に!

で、結果どうなのよ?

一言で言うと、
皆さんも是非、是非「キャンピングカーでオーストラリアの旅」を考えてみてー‼️と叫びたい。

キャンパー(キャンプをする人)で在る事は、様々な制限の中に身を置くこと。

制限がかかることは物質、人、空間。

でもね「有限」を意識するとき、私たちの中に発見が生まれる。

消費したら無くなって、この先補充できるところまで移動しないと「無い」状態が続く、物質的有限。

無いが困るならば、それなりの対応策を考案すること。

逃げ場のない限られた空間の中での人間関係。

愛し、愛されるべき家族の関係性の中に生まれるすれ違い、怒りなどの負の感情。

その感情の源である〝対象”と逃げ場なく年中無休で付き合いながら、折り合いをつけていくことによって見えてくる何か。

不信仰クリスチャン奮闘記 (総括長編)

楽しいことばかりなんかではないけれど、豊かに整えられた日常を一歩出て、キャンパーで在る時、あなたがその身を置く無限の大自然が、もう一つの空間になる。

どこまでいっても、
時間の経過を感じさせない
目の前に広がる荒削りの大自然。

その中に身を置く時、
今まで沈黙していた貴方の心が語り出す。

目の前にある自然が
何千年も前から似た様な形でそこに広がっている事を知る時、そこに存在するあなたの何十年でしかない人生、存在が如何に、ちっぽけなものか気づくかもしれない。

そして
ちっぽけでも、頼りない存在であっても、貴方という命が 今ここに確かに存在しているという事実と向き合う。

自分の命はなぜ今ここに存在しているのか?
自分の命、存在の意味は何か?
命の先にあるものは何か。

荒野の中に走る一直線の道。

赤土の中に真っ白く無造作に残るカンガルーの骨。

何年も雨の降っていない乾いた土地に、それでもそこに生活を営む人々。

乾ききり、亀裂を露わにする川底は、次に水で満たされる時を待ちわびる。

海岸沿いに戯れるウミガメたちのカップルの群れ。

ウミガメが産卵に帰る  西オ―ストアリアの東海岸

保護区にある野花の天然ガーデン。

西オーストラリア

西オーストラリア東海岸線
白砂に咲く小さな花たち

季節になると、出産育児のために浅瀬の海岸に群れるクジラ達。

真水の様な海水と白砂の海岸、

養分をたくさん含んだ透明で緑色の渓谷の水。

一帯が白い貝殻だけで覆われている海岸。

何千年も前から存在している熱帯雨林 などなど。

離れてきた日常で委縮していた貴方の心が動き出すのは、どんな風景の中だろう?

そんな風景を探すために、
地にタイヤと足を着けて、距離を時間の経過で感じながらキャンピングカーで移動してみる。

キャンピングカーで行くオーストラリアの旅は、
旅行会社がひいた線路の上を乗っかっていけばいいような人任せの時間ではない。

誰にも邪魔されず、
自分の心が 「さあ、次のところへ」と言うのを聴けるのは手作りの旅ならではの醍醐味。

自分たちで頑張って計画したけれど、うまく行かなかった時、あなたとあなたの旅の友が、その予期しなかった状況の中で

どれだけ肯定的に反応し協力し合っ乗り越えたか?    そして、笑い許しあうことができたか?

キャンピングカーで行くオーストラリアの旅は、自分探し、関係探しの旅になる。

後悔なんてとんでもない!

16か月の旅を終って、
お金もとっても減って⤵⤵⤵⤵⤵、家もなく、いつまでこうやってキャラバンに住みながら、定住するところを探す生活が続くのか、本当に分からない。

それでも、
やっぱりこの旅をして良かったと心から思える。❣

大自然の中で感じる、目には見えない偉大な存在とその力。

その中で、
怒ったり悲しんだりしている自分の
ちっぽけさに気づいた。

なのに、
こんな自分を受け入れてくれる家族、友が与えられているという事実とその恵みのありがさ。

自分がいかにちっぽけで、弱い存在か、
よーくわかったし、
それは私だけでなく、人間みんな同じってこともわかってきた。

みんなちっぽけで、みんな弱い存在。
完全な人間なんていなくて、みんな愛を必要としている存在だってこと、わかりかけてきた様な気がする。

みんな愛を必要としていると言う事は、
みんな、愛で埋めないといけないーくぼみーを持っていると言う事。

みんな、弱くてちっぽけだから、助け合い、許し合っていかないと絆は壊れてしまう。

どこまでもコロコロと止まることなく転がっていくような
まんまるみたいな完全な人はいないって事。

みんな、でこぼこで、時々立ち止まることがあって、誰かに押してもらえないと前に進めないのが人なんだってこと、分かりかけてきたように思う。

これに気づけたことだけでも、この旅は、神様によって押し出された旅だったと思える。

だからさ、もしあなたが
オーストラリアに来ようと考えてるのなら、是非ぜひ、「キャンピングカーで歩くオーストラリアの旅」を考えてみて‼️

オーストラリアは本当に大きいから、あなたが独り占めできる自然を必ず見つけられる。
その中にあなたの身を浸して、あなたの心の言葉に耳を傾ける。

ドキドキしながら新しい靴を履くようにキャンピングカーをサラッと借りて、すぐそこにあるアウトバックに出かよう。

大自然が、あなたとの出会いを待ってる。

旧約聖書 エレミヤ書 29章11節

11 主は言われる、
わたしがあなたがたに対していだいている計画は
わたしが知っている。

それは災を与えようというのではなく、
平安を与えようとするものであり、
あなたがたに将来を与え、
希望を与えようとするものである。

この聖句は、私の好きな聖句の一つ。

聖書を読むようになってから、歴史が大嫌いだった私に世界史への興味が出てきた。
この部分は、「イスラエル人のバビロン捕集」の時代に、エレミヤという預言者を通して、捕らえられ打ちひしがれていたイスラエル人に語られた    神の言葉。

だから、この聖句を丸ごと私に当てはめることは無理もある。
が、それでも私はこの神の言葉に励まされる。

神イエスキリストに従って生きることを決めた私だがクリスチャンだからとて、もしかしたらクリスチャンだからなお更に山谷坂道はある。

よろしければこちらにもお越しください。


けれど、私の信じる神イエスキリストは、私の生まれる前から死のその後に至るまで、全てをご存知の方。
そしてイエス様は、
「神イエスキリストを受け入れる人を決して見捨てない」と約束してくださる方。

この、私が信じる神イエスキリストが、この11節のようなことを言ってくださる。

神イエスキリストが、私の歩むすべての人生を知っていて下さる。
たとえ時に私に起こる事々が「災い」と思えることであっても、
その災いを乗り越えた時にこそ得られる、神の平安が必ず用意されているはず。                       一つ一つの災難の先にはそれぞれに、神が私のために用意された平安があり、                      与えられる一つ一つの神の平安が、将来を生き抜くための希望となる。」

誰の人生においても、思い通りにならなくて辛くて、悲しくて、逃げ出したい時がある。
いったい、どうして私にこんなことが起こるわけ❓と思うことがある。

でも、そんな時にこの神様の言葉を思い出す。
ここを乗り越えて、その先に待っている神様が用意してくださっているものを得よう。         今のこつらい時も、今は何かわからないけれど、必ず将来の益になるはず❕

こんな感じに理解している。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

また、お会いできることを楽しみにしています。

cororin

CORORIN

おすすめの記事