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命の軽視、未成熟な「命」についての理解
きょうは松本秀男さんのブログ「今日もひとこと ほめてみた」のテーマ「いのちの理由」からのリブログ。ぜひ読んでみてくださいね。
私は命についてよく考える。松本さんのブログを読んでいると、色々な聖句=聖書に書いてあることが頭に浮かんでくる。
ご存じの方も多いと思うが、聖書は神の言葉。その聖書の言葉が、松本さんのブログを読んでいると時々頭に浮かんでくるので、私の中に浮かんできた聖句と松本さんの投稿の一部を勝手に関連付けさせて考えてみようと思う。
今日のこの松本さんの記事は、テーマ「いのちの理由」の一番初めに書かれたものだった。私は以前命に関する記事を書いた時に、この一つの命の生まれる確率(生物的に見た確率)をGOOGLEで検索したときに ’ 1400兆分の1’ という数字に出会っていた。
それで今日、松本さんのテーマいのちの理由の記事をはじめから読んで出会ったのがこの記事。とても嬉しくなって、それで、急遽自分の記事2つを編集し直し、再投稿したのが、以下の2つ。
それぞれだいぶ長いですが、お時間のある方は訪ねてみてください。
私は現在オーストラリア在住で、日本のニュースをインターネットで読んでいる。
日本から遠く離れて日本のニュースを読みながら、いつのころからか自分が特に家庭内暴力や性的虐待、セックスハラスメントやシングルマザー、妊娠中絶、自殺などなどに注視している事に気づいた。そして、これらの問題について思い巡らしているうちに、なんとなくこれらの問題の根本は「命の軽視」にあるような気がしている。
このことについて一つ断割らせてもらうと、妊娠中絶を選択したの多くの「中絶をやむなくしなければならなかった」女性達や自殺をした人を攻める気持ちは全くない。彼女達、彼らたちが命の軽視をしているということではない。
考えるべきことは、弱きものをいとも簡単に被害者に追いやるハラスメント、虐待、暴力の加害者をも含め、日本の社会全体がつまり男女ともにとても多くの日本人が「いのち」とは何か、なぜいのちは ’汝 殺すべからず’ のものなのかをしっかりと教育されないままに成人しているのではないかということ。 これは私自身も含めて・
命とはなにか?について知らずに成人に近づく私達は、抑えきれない性欲を代表とする人間欲、時代の変化の中で移り変わる人間欲というものによって今の社会を構築し、その中に生きる。
そんな流動性で自己中心性な人間欲から出来上がった社会の中で生きているために、命と性に付いての理解が混沌としてきているような気がしている。
この世に唯一無二の固有の命の自然な発生とその終わりに、その生命を生きている私たちは直接関与できない。
知らないうちに私たちは生まれ、私達の知らない時所で死は待ち構えている。
松本さんの記事に関係していることは、命とは、1400兆分の1 の奇跡という部分だけだが、これに関しての私の考えはすでに上記の2つの記事中に書いてあるので割愛。
今日は、神と命について語っている聖句 詩篇139章を紹介したい。
神と命について語っている聖句 旧約聖書 詩篇139章
クリスチャンの間でこの詩は、神とは?について歌われた詩として知られている。
以下に、139篇を全て抜粋するが、時間のない方は、以下の13−16節だけでもご一読頂きたい。
訳名:「口語訳」 聖書種類:「旧約聖書」書名:「詩篇」
いかがでしたか?
詩篇139篇の個人的解釈
この詩は、イスラエルの第二の王、神の真の選びによって立てられたダビデ王が歌ったもの。
以下の聖句をもう少しわかりやすく、個人的に解釈をしてみる。
詩篇/ 139篇 013節では、
母の胎内で自分(人間)のすべてを造られたのは
神であると言い、
あなたはわが内臓をつくり、
わが母の胎内でわたしを組み立てられました。
詩篇/ 139篇 014節では、
自分(人間)のことを最も良く知っているのは神である。
最もというからには、
自分自身より誰よりも、神が自分のことをよく知っていると
言っている。
その神の御業は、恐ろしいほどに驚くべきものである。
わたしはあなたをほめたたえます。
あなたは恐るべく、くすしき方だからです。
あなたのみわざはくすしく、
あなたは最もよくわたしを知っておられます。
続いて詩篇/ 139篇 015節では、
私の体が造られたところは、母の胎内。
そこは人の目からは見えず、
光さえ射差し込まないような深い地の底のように
暗く隠されたところ。
それにも関わらず、
神の目には、わたしの骨さえも見えているかのように明らかだった。
わたしが隠れた所で造られ、地の深い所でつづり合わされたとき、
わたしの骨はあなたに隠れることがなかった。
詩篇/ 139篇 016節では、
母の胎内にある自分の体がまだ
人間の体を呈していないような初期のときでさえも、
神の目は私の体のすべてをその目で見ているかのように、良く知っていた。
そして、
神は
母の胎内に宿った私の命がまだ一日にも満たなかった時、既に
私の命が生きるすべての日について、すべての時間について、
私という命の誕生からその終わり、死までのすべてを、
既にご存知だった
あなたの目は、まだできあがらないわたしのからだを見られた。
わたしのためにつくられたわがよわいの日のまだ一日もなかったとき、
その日はことごとくあなたの書にしるされた。
どうでしょう?
神が命を作られたと明言する聖書
聖書=神の言葉の書は、アナタの意思でも、親の意思でも、誰の意思でも選ぶことのできなかったアナタの命について「神があなたの命を造られ、体を組み立てた」といいます。
そして、アナタの命の全てを知っていると言っているのです。
例え、人の目にはわずか1400兆分の1の生まれる確率しかなかったアナタの命でも、
例え、人の知識では生まれる確率が無に等しいとさえ思えたあなたの命でも、
神は
あなたの命が
あなたの父と母の間にやどり
守られ、生まれ、育ち、今生きているということ、
そしてアナタのこれからの人生とその終わりについて、
全てを知っている、といっています。
神は
あなたの母が、その胎の中に宿ったアナタという命の存在に気づく前からアナタのすべてをご存知であるというのです。
私達が知らなかったこと、私達が忘れてしまったこと、そして私達にとっては未知の未来のことでも、神は知っておられる。
生物科学的に見れば、命が生まれる確率が1400兆分の1以下のような無に近い確率であるにしても、神から見れば、あなたというこの世に唯一無二の命がこの世に宿る確率は100%の確かさなのです。
なぜなら、
いまを生きているアナタの命は、
あなたの命をはじめから終わりまでを見据えた
神が
創造さられたものだから。
あなたの創造主である神について書いてある聖書について、もっと知りたいとは思いませんか?
あなたの命の創造主について知ることが、あなたの命の価値とその目的について知るためのたった1つの道だと私は思うのです。
無料でインストールできる聖書
今日は、139篇の数章のみを取り上げたが、他の1−12節も、17節−14節もとても興味深いことが書いてあると思いませんか?
この詩篇139篇には、聖書の神がどういうお方であるかが書かれている。
神に隠されていることはなにもなく、私達の全てを照らし出す光がたとえ闇になってさえも、神にとっては闇も昼さながらに輝くかのように全てを知る 全知の神。
私達がどこに、陰府に居ようと、神はいつも私達とともにいられる、偏在の神。
倒れそうになった時には、その力強い右手を持って私達を支えられる、慈悲深い神。
人の命の、創造主なる神(13−16節)
神の御心は尊く、数え難く、人には全てを知ることはできない。
これらは、聖書の神のご性質を表す。
新旧訳聖書のテーマは通じて神イエス・キリスト。道徳本ではない。
聖書は「ウォリーを探せ」という本のように、イエス・キリストについて深く知れば知るほどに、聖書の内容に暗示されているイエス・キリストが見えてくる。
そのためには、聖書を読むだけではなく、正しく理解することが必要。
そう、正しく、理解すること。
正しく理解するためには、正しく学ぶ必要がある。
聖書に興味のある方は、まずはオンラインで聖書をインストールしてみることをお勧めする。
「聖書無料ダウンロード」などで検索すると、色々出てくると思う。
何が一番いいか?は分からないが、私が使っているアプリ「ユーバージョン」のリンクを紹介。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
またお会いできることを願っています。
コロリン