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おげんきですか。
「じっくりと神イエスキリストについて」の第二弾です。
第一弾はこちら
この「不信仰クリスチャン奮闘記 2/3」では単純な理由からクリスチャンになって後、神イエスキリストが私の不信仰を変えるためにどのように私の生活を用いられたか?
そして、神様は人間のボランテイアではないという事について書きます。以下もご覧ください
では、BGM を ON にして、
GOD WILL MAKE A WAY
https://youtu.be/RsMAXhc0QTs
Let's begin!
宗教を信じるということの恐怖
私がニュージーランドに行った1995年という年は一月に阪神神戸大震災があり、六月には地下鉄サリン事件があった年。
オウム真理教という新興宗教による洗脳が、この日本でもとうとう人を殺人へ導いた、という大衆理解が広まり宗教というものは、洗脳されるから恐ろしいと多くの日本人が信じた年だった。
無宗教だった私も宗教というものに対して、これに似た恐怖というものは持っていた。
で、なぜに、キリスト教という宗教を信じたの?
私が出会ったクリスチャンがいい人達で、
私もこういう人になりたい✨と思ったから。
直観的💘な感じ。
だって、英語もそこそこできた訳じゃなかったから、
彼らの言っていることを十分に理解、検討できたわけじゃないからね😅。
言葉が分からなくても、感じるもの💓があったってこと。
私が出会ったクリスチャンの人々に、
洗脳などという'うさん臭さ'は感じられなかった。
英語力だったともいえるな~😎
いい時もあるよ
今はキリスト教という宗教を信じるというよりは、
神イエスキリストを信じる、と言った方が
私の気持ちにフィットする気がしてる。
どう違うのですか、ね?
イエス様はご利益宗教の神ではない
<追記;2019/5/14>
今日ケアンズへの車の中で、この「ローマ人への手紙」を聴いた。
そしたら、
クリスチャンが何を信じているのかについてとてもわかりやすく話されていたので、リンク決定。1.5倍速で聞けば約30分で聞き終わるのでぜひ聴いてみてください。
クリスチャンになったからと言って結婚生活がうまくいったとか幸せをつかんだとか、お金持ちになったとか、人に好かれるようになったとかという事はなかった。
何かを信じる事で物理的な何かが瞬時に改善するなんてことは、冷静に物事を考えればあるはずはないと普通なら分かるはず。
「神イエスキリストを信じれば人生が楽になるし、お金持ちになるし、いい人に成れて、病気からも護られるよー」なんてことは、聖書は言っていない。
はご利益宗教ではないから。
逆に、神イエスキリストを信じることで、誰の人生にもある百人百様の試練は神様からの訓練という意味を帯び、訓練であるがゆえに乗り越えることに更なる価値が付加される。
この訓練とは時に経済的危機(感)であったり、身体的、精神的問題で在ったり、家族問題で在ったり、何らかの失敗だったりする。
簡単に言えば、私たち人間が好ましく感じない出来事。
しかし、イエス様を信じる志を持つ者はこういう問題の中にありつつ、神イエスキリストが私たちのためにしてくださった最高の愛の証、それはイエスの十字架上での死の意味について再考し聖書を繰り返し読む中で、今在る試練を乗り越えるための新たな視点と勇気とが与えられるのを待つ。
クリスチャンだって、病気になるし、金銭的には豊かでない人はいるし、生活環境が満たされない中で、あるいは病気や不意の事故等で人生を終わる人はたくさんいる。そんなの当たり前の事。
何かを信じることで目に見える物理的な問題が全く解決されるのなら、世界中の人は今ごろその宗教の信者になっているに違いない。
でも、そうはなっていない。
止めどなく流れる世界のニュースを片手に、「神様が良い事だけをされる方ならなぜこの世の中に今も戦争や飢餓があり、病気に苦しむ人が絶えないのか❓」 と言い、
「おまけに、宗教戦争までするし!そんな神様、嘘でしょう!偽善でしょう!」 と言う人が居る。(私にも、これに同調できる過去があった。)でもこれは、神様の(神イエスキリストの)視点と、人間の視点をごっちゃにしているからこういう考え方になる。
神という存在は、人間とは全く違う存在であることを知る必要がある。
神は、人間のために存在するのではないこと。
神は、人間自分の欲に従って「良し」とする事のため、人間の利己的な欲を満足させる為にボランティア活動をするための存在ではないという事。
神は、全き聖であり、全き正義である神御自身の基準に従って事をなされる存在であることを、私たち人間は知る必要があるという事。
神先に在りき、
神、人を創りたもう。
創造主と被造物の関係
人が物を造り出す立場として、何か、例えばロボットを作る時、人は自分が奉仕する為に、ロボットを造り出す?
NO.
人―自分に奉仕させるため、自分の生活を便利にする為に、ロボットを造り出す。
ロボットを造る目的は、ロボットが人間に奉仕する事であって、人間がロボットに奉仕する為では、決してない。
なにかの間違いで、ロボットが人間のいう事を聞かなくなってロボットが人間に対して反抗するようになったとしたら、それは、人間にとって「脅威」となるから、ロボットが人間のコントロールから逸脱した時点で、人間はそのロボットを機能停止または破壊する。
人間は、今、創造主である神の存在を忘ている。
神が「目には見えない存在である」ことをいいことに、人が神の存在を可視的に証明出来ないことを盾にして、自分の創造主である神を「存在しない」とし、無視して生きている。
人間の創造主、神にしてみれば、この状態は「反逆」以外の何物でもない。
<挿入 2019/6/7>
マザー・テレサの言葉、「愛の反対は憎しみではなく無関心です」とは聖書にある言葉ですか?
ハベストタイムミニストリーズ、聖書.com より
私は「神が人間を創られたのは、人間が神に奉仕するため」などと言いたいのではない。
神は、もっと崇高な神のご意思に従って、人を創られた。
神の崇高なご意思について知るためには、聖書について学ぶ必要がある。
創造主の神が反逆者を破壊しないわけ
人間であれば、ロボットが反逆した途端に躊躇なく、そのロボットを最低限機能停止、または最終的には破壊する。
神は人間と違い、全ての事に対して万能だから、私たちのような「創造主に反逆するような被造物=人間」をいつでも機能停止または破壊して新しい人間を造り出すことができる。
しかし、
創造主である神は、反逆者となった神の被造物=人間を直ちに機能停止、破壊していない。
私たちの創造主はそれをする代わりに、私達に神と共に生き直す為のチャンスを与えてくださった。
それが、神イエスキリストの十字架。
神イエスキリストの十字架の意味は、神が愛に富み、慈悲深いお方であるということ等、神の持つ特異なご性質を知れば、見えてくること。
でも私にはうまく説明できないので、
知りたい方はハーベストタイムミニストリーズ を訪ねて、神イエスキリストについて知ることから、答えを見つける時間を作ってください。😉❤
第一の訓練;信仰覚醒の為に⚡
日本での約7年間も私の精神的な面では過酷だったが、ニュ―ジーランドに行ってからはもっと追い詰められていた。
行きたくないけど仕方なく行っていた教会は英語での説教だったためほとんど理解できない。
話されている説教の内容がほとんどわからないのに、いったい何のために行くのか❓
教会に行くことにも、自分がクリスチャンであることにも、さらに後ろ向きになっていった。
そして、こんな状況の間の結婚関係もまた依然として私にとっては逃げ出したいほど苦痛なものだった。
家族が増える一方で、経済的には急下降の一途。
将来の事を考えれば不安しかないような時間だった。
分かり切れない英語環境の中で、二人の子供を抱え、銀行口座の残高が下降する一方の生活、夫との意見と思いの食い違い。自分にも何か収入に繋げることができないかと思いながらも、それを見つけられない苛立ちと焦り、怒り。
夫と派手目に喧嘩した夜、車で一人飛び出して夜の空港で、滲むオレンジ色の電気を眺めていたこともあった。行く当てなんかあるはずなく、結局夜遅くになって、当時同居させてもらっていた義理の母の家に戻った。
そしてら小柄な義理の母が冬の冷たい夜、外に出て来て私を迎えてくれた。
Satomi, I love you.
敬虔なクリスチャンである義理の母は一言、私にそう言って、抱きしめてくれた。
夫婦でありながら「すれ違いの感情と関係」をだましだまし続ける時間。だましだましとは言ったが、自分の気持ちをだますつもりはなくても通わない、すれ違いの関係をどういう言葉を、どのように話せば解決の糸口が見えてくるのか? それが分からなかった。
試行錯誤はしてはみたけれど成功したと私が感じることは、なかった。
こんな状況の中でも、自分たちの住む家を購入し第三子を妊娠。
「家族」の外見は世間一般のそれと似て、良さそうに変化していった。
けれども、関係性に関する苦痛は変わらない上に、つわりの苦しみが輪をかけた。
そして、夫婦の在り方は私の中でどんどんと悪化していった。
神イエスキリストの救いと導き
それでも、
そんな苦しみは他人にはわからなかったと思う。
人は外見を繕うことが上手だから。
自分の気持ちがこんなにネガティブなのに、お腹の子が生まれてきたら、やっていけるんだろうか?いっそ、一人日本に帰ろうか?
ここまで追いつめられると、もともとクリスチャンであるという自分について斜に構えていた私には、もうイエス様に祈るとか、助けてもらうなどという思いは吹き飛んでしまっていた。
自分の夫を信頼できない不満感と不安感とつわりの苦しみ、大きくなるお腹を抱えての身体的不自由さなどに身も心も追い詰められていた。
そんな時だった。
当時4歳くらいだった次男が、子供用のクリスチャンソングが100入ったCDをかけ🎶、鼻歌を歌い、踊りながら、その歌詞が書いてある絵本を持ってきて私に読んでくれと言ってきた。
笑顔満面でハッピーな次男がその手に持ってきた本を仕方なく受け取り、ソファーに深く腰掛けたまま、沈み切った気持ちの私はその絵本を読み始めた。
その時だった。
実は今でも、何がきっかけで自分の中にその聖句が浮かんだのかわからないのだけれど、聖書の有名な以下の聖句が明らかに私の心に浮かんできた。
わたしのもとに来なさい。
あなたがたを休ませてあげよう。
わたしは柔和で心のへりくだったものであるから、
わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。
そうすればあなたがたのたましいに安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。
(新約聖書マタイの福音書11章28〜30節)
この時の私は、神イエスを信じることを決心してから既に8年以上がたっていた。
この聖句は頭では知っていた。
けれどこの時、この聖句が頭に浮かんだとたんに涙があふれてきた。
「ああ、神様はいつの時も、この私に『私のところに来なさい。
私があなたを休ませてあげよう。』とずーっと語りかけ続けてくださっていた。
にも拘らず、私は、そのことに今まで8年以上もの間、耳を傾けようとしないで来たんだ」と。
「自分に何ができるのか、どうしたらいいのか❓ 夫がこうしてくれればいいのに。こうしてくれるはず。どうしてしてくれなの⁉どうしてわかってくれないの⁉」など、
私の中には、夫に対する言葉にしない大きな期待とそれが成らないことに対する不満が充満していた。
イエス様は、そんな私を
ずーっと見ておられ、
ずーっと呼びかけ続け、
ずーっと待っていてくれた。
私はこの時初めて、神イエスキリストの言葉を心で聴いた気がした。
本を読んでいた母親が突然涙を流し始めたのを見た次男には、その涙の訳など分かるはずもないのだが、彼の私への励ましの言葉はこれだった。
Mummy, NEVER GIVE UP!ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
次回が最終回になります。
またお越しください。
ハーベストタイムミニストリーズ 「60分でわかる新約聖書 ローマ人への手紙」編
ぜひ聴いてみてください。
cororin
追記:夫の名誉のために記しておきいますが彼は敬虔なクリスチャンです。私が神イエスキリストから離れないように日々気を使い、守ってくれている人です。