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帰るところも、仕事も、学校もない私達はBertie Creek での初めてのブッシュキャンプとショッキングなガンショットクリークをケープヨークで経験し 、
ヨーク半島の西海岸にある探鉱の町 Weipa ウィーパに向かう。
ウィーパ Weipa はこのヨーク半島で一番大きな街で、近代的な設備が整う。 オーストラリアの最大スーパーマーケットの一つであるWool Worths のスーパーで食料と気力と充足し、再びアウトバックに飛び出して向かった先はArcher River Roadhouse アーチャーリバーロードハウス。 セジアへの往路で小休止したところ。 アーシャーリバーはクロッコダイル=ワニのいないきれいな河で、アウトバックを思いっきり楽しんだ。 では出発。
第12−14日目 7月17−19日Weipa ウィーパ
下の地図でいうとBertie Creek から、来た道を北上しバマガロードとOTL の交差点にまで戻り、安全なバマガロード(Development Road=開発道路とも言う)を南下する。
OTL は基本北上のみの一方通行だが、車が安全に行き違えることができる道路状況のところであれば立ち寄ることも可能。 バーティークリークまでの道はすれ違うだけの道幅が保たれていた。
ここウィーパにはスーパーマーケットがある!
そして、近代的な図書館やスイミングプールまで!
なんて近代的な街ウィーパ!!!
この街がここまで栄えている理由は、Rio Tinto という鉱山会社による鉱石採掘業が盛んなため。
乾燥した平原と紅土むき出しのこの地を約二週間見てきた後でこんな近代的な、人間らしいカラフルさを目にしたときの感動を忘れられない。
7月という南半球では寒、乾季にあたる時期でもウィーパの気温は30度近くになる。
寒くない冬と近代的な施設を体験し、また住むところも持たなかった私は夫に「私、ここなら住んでもいいな」と口にした。
夫がなんと言ったかも覚えている。「夏の暑さを想像したほうがいいよ。」
そう、ここウィーパは、年間平均最高気温が30度を下らない熱帯気候区だった。私達が訪ねた7月は気候的には一番過ごしやすい時期にあたる。
Weipa には3泊した。
食料を、いつでも、買いたいものを選んで、買えるスーパーがあることは、精神的な安定感を与えてくれる。
基本的欲求の一端が充足されると、
別の欲求の充足を図ろうとするものらしい。
つまり帰るところも、仕事も、学校もない私達はこの先、どうしようか?そんな事を考え始める。
今までの支出、残っているお金、今後の仕事、子供の教育、そして住む所などなど。
この約二週間の旅の総支出は約$1400。
できるだけ切り詰め外食もしないようにしてきた。それでもこんなにかかった。
主なの支出は、食費とディーゼル代とキャラバンパーク宿泊代そして定期的に買い足す必要のあった氷。
残るお金が$4600。
こんな時、将来のことを考える行動は不安を募らせるだけだった。不安を拭える案も与えられないまま時間は過ぎていく。
お金がないとは言っても、生きるために必要な食料の確保はしなければならず、次に生鮮食品を買うことができるのがいつになるのか分からない。
財布の中身をにらみながら、注意深くショッピングリストを作る。
リストを作っても、いざスーパーでものを見ると、
あ、これいいかも?
本当に必要?
買う?
買わない?
これを買うのは贅沢?云々と葛藤が生まれるもの。
こんな思いを抱えての買い物なのに何故か買いすぎてしまうもの。汗
第15日目 7月20日 Archer River Roadhouse
アーチャーリバーロードハウス
アーチャーリバーロードハウスは、川幅の広い、きれいな水のアーチャーリバーの河岸にある。 北上していた時には泊まらなかったが、河のきれいなのを見て帰りには是非泊まりたいと希望していたキャンプサイト。 到着後は、写真のように大はしゃぎ。
WEIPA 今 2020年
実は、この時の2012年の訪問から8年以上もたったつい一週間ほど前、WEIPA を訪ねる機会があった。
WEIPAまでの道中は、その6ー7割が舗装されていた。当時の波波ガタガタの多くが消えていた。しかし、この開発道路の開発はまだまだ続く。
本格的な雨季に入る前に、今年一年の仕上げとして、できるところまで仕上げたいというところなのだろう。
滞在中の11月下旬、
雨季の始まりを告げる雨に出くわした。ポツポツではなくボタボタと大きな雨粒が始まったかと思うとすぐにそれはバケツを引っくり返したような豪雨に変わった。トタン屋根の屋内では会話もままならない。
1ー2時間の豪雨のあとも雨は翌朝まで続き8ー9時間で45mmの降水量だったという。
翌日、約3時間の移動を計画していた私達よそ者は、道中洪水になっていたらどうするか?
という話題で盛り上がったのに対して、暑く、乾き、4月以降ほとんど雨が降っていなかったこの地で生活してきたローカルの人にとってこの雨は大歓迎の雨となった。
この雨によって行きにはただの紅土だった道路脇に帰りにはうすーい緑の息吹がジュウタンのように芽生えていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
またお会いできますように。
コロリン