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こんにちは。
もう直ぐクリスマスですね。
今日は、人生最大最高のプレゼントが今、あなたの目の前に差し出されていますよ!
という事ついて書きます。
40年以上前、私が子供の頃のクリスマス
私が子供だった当時新潟の田舎町のクリスチャンのいない家庭ではクリスマスにはケーキが食べられるということ以外に、「クリスマスにプレゼントをする」という習慣は無かった様に思う。
私の記憶ではただ一度だけ親から、クリスマスプレゼントという名目で(だったと思うけれど)
兄妹3人がオレンジ色の毛布をももらったことがある。ものすごく嬉しかったから忘れられない。
でもこの一回だけ。
歳が進むにつれて、クリスマス商戦がしっかりと田舎にも追いつき「クリスマスプレゼント」と言うものがサンタクロースと共に定着した。そして、赤、白、緑と金銀のきらびやかな飾り付けと共に、町の商店街に流れる「ジングルベル」に心が躍った。
クリスマスというまだ見たこともない外国の幻想的な匂いがする舶来の行事がはるか日本にまで渡ってきて、この同じ日に、外国でもこのクリスマスをしている(祝っているという感覚は全くなかった)。
こんな思いが、「きよしこの夜」の透き通るようなメロディと、師走の終わりのキーンと冷えた日本の冬の空気❄️と共に心に染み込んできた。なんとも言えない「クリスマス独特の味わい」が若き日にはあった。
でもそれも、クリスマス商戦の過激化に疑問を持ち始めた20代前半までだった。
年が進むにつれ、クリスマスの本当の意味について少し知った。
クリスマスは、キリスト教の人がイエスキリストの誕生を祝うための日だという程度に。
まだイエスキリストを知らなかった私はこう思った。
キリスト教じゃない人には関係ないんじゃんね。
ほとんどの日本人には、関係ないんじゃん。
ねぇ❓
実は、日本人にも大いに関係があるイエスキリスト
キリスト教徒つまりはイエスキリストを信じない人にとっては、
お祝いをする必要はないし、
ましてやプレゼントを交換するなどという習慣は必要ないよねぇー?
でもなんでイエスキリストの誕生を祝うこととプレゼントが繋がるんだろう?
サンタクロースがソリに乗って子供達にプレゼントを配る
ってことになっているもんね!
子供にはそれでも夢があって良いのかもしれないけれど。
でもさ、サンタクロースって誰よ?
イエスキリストとどういう関係があるのよー?
サンタクロースのプレゼントの背後にあるのはイエスキリストの愛
今日私はサンタクロースの話をするつもりはない。
サンタクロースについては google で検索すれば、サンタクロースについての素敵な優しい話が読めるから。
でも、サンタクロース物語の背景には、やっぱりイエスキリストがいる。
クリスチャンであったサンタクロース(セイント ニコラウス?)の行動はイエスキリストの愛を知り、その愛を他の人へ伝えようとした事の現れなのだから。
だからクリスマスはサンタクロースの物語ではなく、イエスキリストの物語なのです。
クリスマスはキリストイエスの降誕祭。
けれど、実際のキリストの誕生日は私達には明らかにされていません。けれどそれは大きな問題ではないのです。2000年以上にも渡り誕生を祝う程の存在とはいかなる存在なのか?について知ってください。
これは、クリスチャンだけに関係することではなく、そうでないあなたにも大いに関係することなのです。
貴方の人生最大最高のプレゼントは、クリスマスを待たずして、今すでにあなたの目の前に差し出されています。
ちょっと休憩しましょうか?
重い真実を話す前に以下を聞いてみてください。英語ですが。
さて、クリスチャンは、この世に存在するすべて(目に見えるものもそうで無いものも含めた全て)を創造したのが 神であると信じます。つまり、あなたも私も 神による被造物です。
旧約聖書 詩篇139編
神が人を創られ、
アダムが唯一神から、「食べてはいけない、それを食べたらあなたは死ぬから」と警告を受けていた禁断の木の実=善悪を知る知識の木の実を食べた時以来、私達人間は私達の創造主である神の権威と愛に背くという罪を侵し続け、生きてきています。
新約聖書 ローマ人への手紙1章 20節を参照
ところで、貴方は、これらの自然、命は誰が作ったと言いますか?
しかし神は、
神に背いて「一人ひとりの命の創造主である神に反逆したもの」として生きる私達人間にさえ創造主としての愛という神の力を私達人間に示されました。それが、神の独り子であるイエス・キリストをこの世に贈られたことです。以下の聖句にあるとおりです。
神は、全人類の生まれながらにして負っている罪を無いものとして、再び 神との関係を回復できるようにするための解決策を神ご自身が与えてくださった。
私達の罪が、その独り子であるイエス・キリストが十字架上で流すその全く聖い血によってのみ洗い流されるようにしてくださった。
イエス・キリストは、罪人である私達の罪の贖いとなるために、
十字架上での死を遂げるためにだけ この世に生まれてくださいました。
私達のために死ぬためだけに、生まれてこられたかた。
イエス・キリストは、 死ぬために生まれてきた方。
イエス・キリストは、、自分ではない、しかもご自分の「神」という権威を拒否する、いわば自分の敵の罪を贖うために生まれてきてくださった方。
イエス・キリストは、十字架上での死という一番苦しく、一番惨めな死に方をすることを知ってて生まれてくださった方。
イエス・キリストは、自分がいかに酷い死に方をするかを知り、それがいつ起こるのかをも承知しつつ生きられた方。
イエス・キリストは、十字架上での死を恐れられた方。
子なる神イエス・キリストは、ご自身が神であるがゆえに、十字架上での死を避けることができたが、そうはせず、私達人類の罪の贖いとなるために、十字架上での死を、父なる神の御心のとおりにと祈り、受け入れられた方。
父なる神は、一人でも多くの人が、神との関係を回復することを望まれている。
それ故に、父なる神として、我が子なる神イエス・キリストの苦しみを「我が身が引き裂かれる以上の苦しみ」を耐えることをも望まれる神。
そして、
イエス・キリストは十字架上での死後三日後に死から蘇り、その墓からい出、今は、天にいます父なる神の右に座しておられる方。
クリスマスにある2つの大きな愛
自分に反逆はしたが、それでも御自分=神が愛する者(貴方であり私のこと)を救うため
「独り子なる神イエス・キリストを十字架上での贖いとして送り出す」という
自身の身を裂かれる以上の苦痛を受けることを良しとした
父なる神の私達への愛。
そして、
微塵も自分のためではない
「十字架上での反逆者のための贖いの死」のための命を
父の御心にままに受け入れ従順に従った
独り子なる神イエス・キリストの
私達への愛。
クリスマスが意味するものは
この2つの大きな愛。
今は信じられなくても、事実は変えられない。事実を前に、あなたがどのように行動するか、ということ。
あなたが、父でありまたは母であるとしたなら、自分の独り子を十字架上での死に送り出すということが、どれほどの苦痛か ほんの少しは想像つくだろう。
そして、
ちちの母の「一人の子」としてのあなたは、自分の身をイエス・キリストに当てはめてみれば、見えてくる何かがあるはず。
これほどの愛が、この地上に生きる人間に見られるだろうか?
神に対する一方的な反逆者である私達に、神御自身が和解策を講じて下さった。
それがキリストイエスの十字架であり、人が全き聖なる神と和解できる唯一の方法である。
クリスマスは、
このことを思い、私達人間に対する神の愛、父なる神と、子なる神イエス・キリストによって与えられた奇蹟の愛をについて感謝する季節 season なのです。
この人生最大最高のプレゼントを
貴方が受け取る勇気が
神から貴方に与えられる事を
祈っています。
日本語バージョン How deep the father’s love
神は、
その独り子をお与えになったほどに、
世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで、
永遠の命を得るためである。
コロリン