クリスマスー人生最大最高のプレゼント
こんにちは。もう直ぐクリスマスですね。 今日は、人生最大最高のプレゼントが今、あなたの目の前に差し出されていますよ!という事について書きます。

1960-70年代、私が子供の頃のクリスマス

私が子供だった当時新潟の田舎町のクリスチャンのいない家庭ではクリスマスにはケーキが食べられるということ以外に、「クリスマスにプレゼントをする」という習慣は無かった様に思う。私の記憶ではただ一度だけ親から、クリスマスプレゼントという名目で(だったと思うけれど)兄妹3人がオレンジ色の毛布をももらったことがある。ものすごく嬉しかったから忘れられない。 でもこの一回だけ。 思春期になるころには、クリスマス商戦がしっかりと田舎にも追いつき「クリスマスプレゼント」と言うものがサンタクロースと共に定着して、赤、白、緑と金銀のきらびやかな飾り付けと共に、町の商店街に流れる「ジングルベル」に心が躍った。 クリスマスというまだ見たこともない外国の幻想的な匂いがする舶来の行事がはるか日本にまで渡ってきて、この同じ日に、外国でもこのクリスマスをしている。 こんな思いが、「きよしこの夜」の透き通るようなメロディと、師走の終わりのキーンと冷えた日本の冬の空気❄️と共に心に染み込んできたなんとなく切ないような、しかしその一方で日常生活ではほとんど感じることのない「聖さ」も感じていて、なんとも表現しずらい「クリスマス独特の味わい」が若き日にはあった。 クリスマスを祝う、という本当の意味について考えることは全くなかった。クリスマス商戦の過激化に気づきそれに疑問を持ち始めた20代以降は歳が進むにつれ、クリスマスの本当の意味について知ることになる。クリスマスは、キリスト教の人がイエスキリストの誕生を祝うための日だという程度に。 まだイエスキリストを知らなかった私はこう思った。
キリスト教の人が信じる「イエスキリスト」の誕生日を祝う日だったら、キリスト教じゃない人には関係ないんじゃんね。 ほとんどの日本人には、関係ないんじゃん。ねぇ❓

実は、日本人にも大いに関係があるイエスキリスト

クリスマスがイエスキリストの降誕祭、つまりはお祝いなら、キリスト教徒つまりはイエスキリストを信じない人にとっては、お祝いをする必要はないし、 ましてやプレゼントを交換するなどという習慣は必要ないよねぇー?
プレゼントを交換しなくても、プレゼントをあげることは人を喜ばすことにつながるから、悪いことでは決してないでしょ。プレゼントをもらって嬉しくない人は多くはないし。
ん、そうね。プレゼントすること自体は良いことだよね。 でもなんでイエスキリストの誕生を祝うこととプレゼントが繋がるんだろう?
あ、分かった!サンタクロース、サンタクロースだよ。サンタクロースがソリに乗って子供達にプレゼントを配るってことになっているもんね!
うん。でも「ソリに乗ってプレゼントを持って煙突から家に入って子供達に配る」って部分はおとぎ話でしょ。子供にはそれでも夢があって良いのかもしれないけれど。 でもさ、サンタクロースって誰よ?イエスキリストとどういう関係があるのよー?

サンタクロースのプレゼントの背後にあるのはイエスキリストの愛

今日私はサンタクロースの話をするつもりはない。 <ahref="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B9">サンタクロースについては google で検索すれば、サンタクロースについての素敵な優しい話が読めるから。 でも、サンタクロース物語の背景には、やっぱりイエスキリストがいる。クリスチャンであったサンタクロースの張本人ーセイント ニコラウスの行動はイエスキリストの愛を知り、その愛を他の人へ伝えようとした事の現れなのだから。 だからクリスマスはサンタクロースの物語ではなく、イエスキリストの物語なのです。 クリスマスはキリストイエスの降誕祭。 けれど、実際のキリストの誕生日は私達には明らかにされていません。けれどそれは大きな問題ではないのです。それよりも「2000年以上にも渡り誕生を祝う程の存在」とはいかなる存在なのか?について知ってください。 これは、クリスチャンだけに関係することではなくそうでないあなたにも大いに関係することなのです。

貴方の人生最大最高のプレゼントは、今すでにあなたの目の前に差し出されています。

ちょっと休憩しましょうか? 重い真実を話す前に以下を聞いてみてください。英語ですが。

How deep the father’s love

さて、クリスチャンは、この世に存在するすべて(目に見えるものもそうで無いものも含めた全て)を創造したのが であると信じます。つまり、あなたも私も 神による被造物です。 旧約聖書 詩篇139編 神が人を創られ、アダムが、「食べてはいけない、それを食べたらあなたは死ぬから」と神から唯一受けていた警告であった禁断の木の実=善悪を知る知識の木の実を食べた時以来、私達人間は私達の創造主である神の権威と愛に背くという罪を侵し続け、生きてきています。 <ahref="https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E4%BA%BA%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%89%8B%E7%B4%99(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)" rel="noopener noreferrer" target="_blank">新約聖書 ローマ人への手紙1章 20節を参照 ところで、貴方は、これらの自然、命は誰が作ったと言いますか?
Nullarbor Plain ナラボー平原の途中の海岸線
 
南オーストラリアのオーストラリア湾
 
満天の星、ミルキーウェイ
 
西オーストラリアの海岸線 のキャラバンパークから見えた夕日。
 
サンドボーディング
西オーストラリアの西海岸の砂丘で
 
巣から落ちたフクロウの赤ちゃん
つかれちゃった、かな🤣
 
ノーザンテリトリー
Devils Marbles
デビルス マーブルス
 
乾燥し、時に火によって焼かれるようなこの地にさえ咲く花がある。
 
Malgrave そびえたつ蟻塚
 
空っぽになった家
窓の右端にキャラバンが見える。
私達の心の中にある風が吹きすさぶ寒い空洞は、キリストイエスを求めている空洞かもしれない
  しかし神は、 神に背いて「一人ひとりの命の創造主である神に反逆した者」として生きる私達人間にさえ創造主としての愛という神の力を私達人間に示されました。それが、神の独り子であるイエス・キリストをこの世に贈られたことです。以下の聖句にあるとおりです。
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで、
永遠の命を得るためである。
神は、全人類の生まれながらにして負っている罪を無いものとして、再び 神との関係を回復できるようにするための解決策を神ご自身が与えてくださった。 私達の罪が、その独り子であるイエス・キリストが十字架上で流すその全く聖い血によってのみ洗い流されるようにしてくださった。 イエス・キリストは、罪人である私達の罪の贖いとなるために、 十字架上での死を遂げるためにだけ      この世に生まれてくださいました。 私達のために死ぬためだけに、生まれてこられたかた。 イエス・キリストは、 死ぬために生まれてきた方。 イエス・キリストは、、自分ではない、しかもご自分の「神」という権威を拒否する、いわば自分の敵の罪を贖うために生まれてきてくださった方。 イエス・キリストは、十字架上での死という一番苦しく、一番惨めな死に方をすることを知ってて生まれてくださった方。 イエス・キリストは、自分がいかに酷い死に方をするかを知り、それがいつ起こるのかをも承知しつつ生きられた方。 イエス・キリストは、十字架上での死を恐れられた方。 子なる神イエス・キリストは、ご自身が神であるがゆえに、十字架上での死を避けることができたが、そうはせず、私達人類の罪の贖いとなるために、十字架上での死を、父なる神の御心のとおりにと祈り、受け入れられた方。 父なる神は、一人でも多くの人が、神との関係を回復することを望まれている。 それ故に、父なる神として、我が子なる神イエス・キリストの苦しみを「我が身が引き裂かれる以上の苦しみ」を耐えることをも望まれる神。 そして、 イエス・キリストは十字架上での死後三日後に死から蘇り、その墓からい出、今は、天にいます父なる神の右に座しておられる方。

クリスマスにある2つの大きな愛

自分に反逆はしたが、それでも御自分=神が愛する者(貴方であり私のこと)を救うため

「独り子なる神イエス・キリストを十字架上での贖いとして送り出す」という

自身の身を裂かれる以上の苦痛を受けることを良しとした

父なる神の私達への愛。

そして、

微塵も自分のためではない

「十字架上での反逆者のための贖いの死」のための命を

父の御心にままに受け入れ従順に従った

独り子なる神イエス・キリストの

私達への愛。

クリスマスが意味するものは

この2つの大きな愛。

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで、
永遠の命を得るためである。

愛の絆

今は信じられなくても、事実は変えられない。事実を前に、あなたがどのように行動するか、ということ。

あなたが、父でありまたは母であるとしたなら、自分の独り子を十字架上での死に送り出すということが、どれほどの苦痛か ほんの少しは想像つくだろう。

そして、

父と母の「一人の子」としてのあなたは、自分の身をイエス・キリストに当てはめてみれば、見えてくる何かがあるはず。 これほどの愛が、この地上に生きる人間に見られるだろうか? 神に対する一方的な反逆者である私達に、神御自身が和解策を講じて下さった。 それがキリストイエスの十字架であり、人が全き聖なる神と和解できる唯一の方法である。 クリスマスは、 このことを思い、私達人間に対する神の愛、父なる神と、子なる神イエス・キリストによって与えられた奇蹟の愛をについて感謝する季節 season なのです。

この人生最大最高のプレゼントを

貴方が受け取る勇気が

神から貴方に与えられる事を

祈っています。

日本語バージョン How deep the father’s love 新約聖書 ヨハネによる福音書/ 03章 16節

神は、

その独り子をお与えになったほどに、

世を愛された。

独り子を信じる者が一人も滅びないで、

永遠の命を得るためである。

コロリン
コメント一覧
  1. こんにちは!ブログ楽しみに拝読しています。ところでオーストラリアの森林火災が大変深刻な状況のようですね。コロリンさんご一家は大丈夫なのかしら?と案じております。ニュースによると一か所の大きな火災ではなく、大きな火災が多数の個所で発生しているのですね。

    • 森林火災のことで私達の事をご心配いただき本当にありがとうございます。森林火災のほとんどがクイーンズランドの南端以南、特にはニューサウスウェールズ州や南オーストラリア南端で起きています。私達は幸いなことに熱帯雨林気候帯であるケアンズ以北に住んでいるので、今年の火事からは守られています。しかしながら、多くのオーストラリア住民が多大な被害を受けていて辛い思いです。 昨年のこの時期には、クイーンズランドのタウンスヴィルで大雨のための洪水があり、多大な被害が出ました。昨年の今頃のブログでも触れましたが、どのような災害がどこで起きても、人が傷つくことは辛いですね。政府の対応と、多くの人達からの物理的、精神的な支えを通して、被害を受けた方には、将来を 負けずに生きていく強さが生まれ育っていくことを願うばかりです。 ご心配いただき、心から嬉しかったです。ありがとうございました。ららんさんもお元気で。

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