命について 1ー 自分の命は自分のもの、それ本当?

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命は大切なものなのでしょうか?

あなたは、命の大切さについて考えたことがありますか?

命は「大切なものだ」と言う人がほとんどだと思います。
命は大切なものではないという人は、どのくらいいるのでしょう?

あなたが命は大切なものと思っているなら「命がなぜ大切なのか」あなたは説明できますか?

私の場合
私は命は大切なものだと思います。
大切なものだと、ずーっと疑いもしないで半世紀以上を生きて、今もそう思っています。
私にとって、命が大切なことは「当たり前」なことでした。この地上で空気を吸っているから生きていると分かっているのと同じくらい当然なこととして「命は大切なもの」だと分かっていまた。

命が大切なことは、私にとって考えてみるまでもないくらいに、アタリマエのことでした。看護師をしていた頃の9年間も含めて、疑ってみることもないほど「命が大切なこと」はアタリマエな事でした。

だから、命がなぜ大切なのか、実は深く考えたことがなく、いざ、この疑問に直面したらこの疑問にすぐには答えられない自分がいたことに、自分で驚きました。

だから、考えてみました。命が「なぜ大切なのか?」について。

自分の命は自分のもの、それ、本当?

命とは?
命を2つ持っている生き物は、いない。生きている存在は、命を一つだけ持っている。そして、その生命を持っているのは、その命を生きているその存在。

つまり命とは、生きて今に存在しているもの、のこと。

「私」という存在は、私の命を生きている存在。

では、私の命は私のもの?
この事を考え始めた私は、迷路にハマりました。

命は、自らが生まれたくて生まれてきたのではない
私は今生きている、つまり私の命を生きている。 
私は今生きているから、命がある。 
生きているのは紛れもなく「私」であって、他の誰でもない。
だから、この私の命は私のもの?
私の命が私のものであるならば、私がこの生命をどうしようが、例え、自分で自分の命を終わりにしようが、私の勝手?自由?
この質問に、私はYES の答えを出すことができなかった。

エッ?  
私は、生まれたい!生きたい!と意図してこの世に生まれたわけではない。
だって、母の胎内にいた時はもちろん、「私の命」が母の胎内に宿って、形作られ始めたときも、そして生まれてから初期の頃も、私には「意思」がなかったから。

私の命、私の生は、私の意思によって始まったわけではない。

私の命であり、私が生きている命であるにも関わらず、私の命の始まりは私の意思で始まったものではない。

エッ!?

では、どうして私の、アナタの命はこの世に生まれたの?

どうしてアナタの命はこの世に生まれたのか?

アナタの命は、アナタの父と母があなたという固有の命を望んだから生まれた わけではない
あなたの命は、アナタの親が、「アナタという固有の人物に会いたい」と望んだから生まれた?
否 違う。
確かにあなたの命は、あなたの父の一つの精子と、あなたの母の一つの卵子が母の胎内で受精して、あなたの命が始まり、母の胎内に宿った。

だったら、あなたの命がこの世に生まれたのは、あなたの父と母がアナタという人物を望んだから生まれたってこと? そうかも、と思いかけたがこれもまた正解ではない。

命が始まるには、特に人間の命の発生には男の精子と女の卵子が必要。大方、これは父の精子であり母の卵子である。

では、あなたの父とあなたの母が「あなた」というこの世にたった一人しか存在しない「個性を持ったあなた」という人間を望んだがためにあなたの命が母の胎内に宿ったのか?というと、そうではない。

母が「あなた」を選べない理由

通常、女性はその一生で約 400個の成熟卵子を持つと言われる。
とは言っても、女の子の体が妊娠準備が整ったことを知らせる初経から妊娠の可能性終了の閉経の時期の約40年ほどの間に、約28日毎にたった一つずつ、成熟した卵子から順番にポーンと、卵子が卵巣から飛び出して子宮に向かう。

あなたの命になる可能性がある卵子はあなたの母の一生の内で作られる400個の成熟卵の内のたーったひとつだけ。

つまり400個分の一の確率でしかない。

母の体の中で作られる約400個の成熟卵の内「あなた」になれる卵子はたったの一個でしかなかく、あなたになる成熟卵が卵巣からポーンと飛び出した後、その卵子が生きることができたのはわずか24時間、たったの一日だけ。

だけど、あなたの母は、あなたになるはずのそのたった一つの受精卵を自分で選びだすことはできなかった。ただ与えられた女性という体のシステムの流れに沿うことしかできなかった。

このことは、あなたの母は「アナタの親になる」ということを選ぶことはできなかったと言うのと同じ事。あなたの母が望むことできた事があるとしたら、それは「自分の子供がほしい」ということだけ。どういう子供が与えられるのかを、ましてや子供の体や性格などを選ぶことなど全く不可能なことだったのだ。

父が「あなた」を選べない理由

父側の理由はもっと複雑。
通常、男性は約 10歳くらいから、死ぬまでの一生の間に、1,000,000,000,000〜2,000,000,000,000(1兆〜2兆個)個という精子を作るという。

そして、男性が一度の射精で排出する精子の数はおおよそ300,000,000個(3億個)くらい。
その3億個の精子一つ一つが、それぞれ固有の命を生み出す可能性を持っている。

「それぞれ固有の命」という意味は、400個分の1のアナタになる卵子と結びついてアナタになれる精子は、あなたの父がその一生で作り出す約2兆個の精子のうちにたった一つしかないということ。

つまり、あなたの母の卵子と結びついてアナタになれる精子は2兆個分の一の確率しかないということ。

ということで、アナタの父はアナタという固有のたった1つの命を望んでも、彼がその一生に作り出す2兆個の精子達の中から、父の意思で「アナタ」になる精子を選んで、あなたの卵子を探して結合させることは不可能だということ。

射精されたところで、あなたの母の胎内に、アナタの受精卵が飛び出していなければ、アナタの命は生まれることができなかったのだから。

つまり400個分の1の確率しかない「アナタ」になる卵子が、
(男性の体の中で生涯に作られる精子の総数を少なめに見て1,5兆個と仮定して)
総数1,5兆個の精子中のたった一つである「アナタ」になる精子と結合する割合は、

​​​​​1 / 400  x   1 / 1.5 兆   =   1 / 60兆

つまりアナタというこの世にたった1つしか存在できない固有の命60兆分の1の確率でこの世に生まれてきた命ということ。

この時点での、あなたが生まれる確率は60兆分の一以下しかなかったということで、この確率を裏返して言うと、あなたの命が「生まれない」確率は、少なくとも
60兆分の59兆9999億9999万9999以上 もあったということ。

この確率が何を言っているかというと、あなたの父と母は、「あなたという命」を彼らの意思で選ぶことはできなかったということに、他ならない。

このような確率を 奇蹟 と呼ぶ人もいるし、偶然と呼ぶ人もいる。

あなたの命が生まれたことは「奇蹟」か「偶然」か?

ここまでの時点で、あなたの命も、他のすべての命も、その命が母の胎内に宿る確率が
60兆分の1以下という奇蹟的な確率又は偶然であると書いた。

アナタは、自分の命の発生、誕生をどちらとして受け止めるのか?
神のみにしか起こせないような奇蹟としての命か
それとも
たまたま偶然のタイミングが重なったことにより発生した命か?

あなたの命の基である一つの卵子が、父の違う精子と受精していたならば、あなたは生まれていないし、あなたの命の基となった父の精子が、母の別の卵子と受精していたなら、やっぱりあなたはこの世に存在してはいなかった。

けれど、この確率はアナタの命が宿る奇蹟の全部を意味していない。
ここには書いていない、さらなる要素がある。

興味のある方は以下の記事を訪ねてみるといい。

妊娠出産は奇跡的な確率。妊娠の可能性を高め安全な出産をしよう

さて、命の発生に関係するあなたの父の精子とあなたの母の卵子が受精する確率は、実はあなたの命の発生の末端の一部分のことでしかない。上のサイトを訪ねるとその意味が分かると思う。

固有の命=あなたになる命が宿るためにくぐり抜けてきた
「生まれない」確率は
実は、60兆分の59兆9999億9999万9999よりも遥かに高い。
それが、前に60兆分の59兆9999億9999万9999 以上と書いた理由。

あなたの父と母のセックス=命を生み出す行為は通常は一回きりではない。
セックス=命を生み出す行為は、母の排卵のタイミングと父の射精のタイミングの一致、精子と卵子それぞれの生存期限の合致も100%の必要条件。

通常、母の卵巣から飛び出した成熟卵の寿命はわずか6ー24時間だけ
そして、
父の精巣から母の胎内に排出された精子達の寿命は72時間だけ。

つまりこのことは、あなたという卵子とあなたという精子が出会って受精する確率が更に低くなることを意味している。

そして、あなたの父と母が、他の相手を選んでいたならば、あなたという命は決して生まれなかった。

あなたの父と母には、お互いを選ぶ以前には、別の相手を選ぶ可能性がわんさかあった。

父と母が出会ったきっかけがあるはず。
そのきっかけがなかったとしたら?そのきっかけが、なにかの出来事で妨害されていたとしたら?

あなたの命が生まれる確率は更に低くなっていく。

そして、それぞれの生活範囲にも関係している。
父と母が出会う前に日本国内でだけ生きていた人には、日本国内の異性の数が選ぶ対象人数である。

が、
父と母が出会う前の生活範囲が海外にも及んでいたという人にとっては、選ぶ対象人数は更に大きくなる。

つまり、こういう条件をすべてクリアして、あなたの父と母が出会うこともまた、アナタの命がこの世に宿るためには100%の必要条件である。

たぶん、考えればきりがなく、考えれば考えるほど一つ一つの命が宿る確率の低さに驚かずにはいられない。
これは裏返して言うと、一つ一つの命が宿らない確率の高さに驚かずにはいられないということ。
あなたの命が、あなたの母の胎内に宿らない確率は、測り知れないほど高いということ。

一つ一つの命は、どれもこれも、みんな、数字に表しきれないほど、頭で理解、想像すらできない程に大きな「生まれない確率」をかいくぐって母の胎に宿ったということ。

命、それは奇蹟?

命、それは偶然?

あなたの存在は奇蹟それとも偶然?

人間に与えられた能力ではできないことが起きたとき、私達はそれを時に奇蹟と呼んだり偶然とよんだりする。

命の誕生、それは奇蹟かそれとも偶然か?

あなたにとって命はただの偶然か神による奇蹟か?
あなたは、今、生きている自分と生きている他の人を見る。
人間の力では計画して生み出すことのできない一つ一つの固有の命の見る。
命は、自然妊娠の他に今は人工授精によっても生み出すことができるけれど、生み出される命の体や性格は操作はできない。
あなたが見ている命は偶然か奇蹟か?
アナタは命をどう捉えるか?

あなたが「命」を、ただの偶然に発生したものと捉えるなら、全ての命はただの偶然の重なりにより今を共に生きる命の群れだし、

あなたが「命」を、神の計画により生まれされた奇蹟と捉えるなら、あなた自身もあなたの見ている人すべての人の命も生も奇蹟の存在ということになる。

偶然に生まれてくると、100%起こる死も偶然? 私の場合

私は命を、神により創られた奇蹟と捉える。
だから、私達が今生きていることも、奇蹟そのもの。

私にとって、一つ一つの命は神の奇蹟によって創造されたもので、命とは決して人間の手で創り出すことのできない奇蹟。

私達人間が自分で作り出したものでないならば、それは何者かによって創られたまたは授けられたものであるはず。

例え命を生きているのがあなた自身であれ、その生命が自分以外の「何ものか」によって授けられたものであるとすれば、「自分の命は自分のもの、自分だけのもの」と言うことは、必ずしも正しいとは言えないのではないだろうかと考える。

聖書の神イエス・キリストを信じる私は、私の命を創り出してくれた「自分以外の何者か」の答えが与えられた。

そしてそれ以上に、私がこの世に送り出された理由つまり100%の死が約束されたこの限りある時間を生きる目的までも、聖書の神イエス・キリストを信じることで与えられて、いつか必ず訪れる私の死は、私の命の創造主の御旨に従って起こることであって、それは偶然に起こることではないということも聖書には書かれている。

終わりに

今回考えたのは命が宿る、命の発生ということ。

命がこの世に始まるということが奇蹟であることについて、生物学的に数字を使っておおまかに考えてみた。

次回は、母の胎内に宿った命が、その胎内で育ち、生まれ、生きるということの奇蹟について考えてみようと思う。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

またお会いできますように、と願っています。

コロリン

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