キャンプで旅するオーストラリア!自分探しの旅をしよう!

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この投稿記事は、16か月間のオーストラリア一周の旅について書かれた一冊の「旅行記エッセイ」を読むかのように書いてある。その全容は未だつながってはいないため、随時付加して成長していく予定。

この記事には、オーストラリアの要所要所を訪ねたときの概要文、写真そして関連投稿のリンクが張り付けてある。記事を追っていくことで、広大なオーストラリアの要所要所で私達の滞在時期に目にできる自然を見ていただくことができる。

挿入記事で詳細の道草をしながらゆっくりと読んだり写真を見たりしていただき、オーストラリアの大自然が持つ匂いと熱を感じながら少しでもリラックスした気分を味わっていただけたなら、うれしい。

旅の形はどうであれ、オーストラリアの大自然の荒っぽい姿とそれが放つ熱と匂いは、あなたが今まで気づいていなかった「何か」に気づくきっかけを与えてくれると信じている。

私にとっての「16ヶ月の旅の価値」

私たちは2012年にオーストラリアに移住して、2017年4月から2018年月9までの約16か月間をかけて家族5人でキャラバン(日本ではキャンピングカーでひとくくりにされる)でオーストラリア一周の旅をした。

当時三人の息子は11歳、15歳,18歳。私達夫婦は結婚20年を前にした50代60代前半の国際結婚夫婦。2012年にニュージーランドからオーストラリアに移住するきっかけや、キャンピングカーで旅に出るまでの経緯、私のプロフィールなどは以下の記事に。

この旅を終えたときからもう7年が経つ(2025年10月現在)。

そして、今もこうして2019年から書き溜めてきた記事を写真を見ながら再編集する中で驚くのは、自分が喜々としてこの作業を続けていること。

(コンピューター音痴の私が、約2年以上ほとんど手つかずでいて、新しいヴァージョンになったワードプレスの使い方やテーマをカスタマイズする為の最低限の方法を見出すまでに費やしたストレスフルな山のような時間には、今は触れないこととして、汗)

16ヶ月の時間を費やしてこの目で見た日本の国土の20倍の面積を持つオーストラリアの大自然を走り抜けながら、その時その時に感じていた空気の熱気や冷気や匂い。

それぞれの場所で自分が感じ考えていたことやそれぞれの家族の表情、そして家族関係の歪みがこの長い時間の中で生まれまた昇華できたことなどが思い出される。

そして7年という時間が経った現在とあの時を比べるとき、家族それぞれの成長という変化が見て取れる喜び。

しかし、何よりもこの旅を「私にとって価値あるものとさせたもっとっも大きな出来事」は、キャンピングカーという狭く限られた生活空間で16ヶ月間、自分や家族の感情の波を四六時中肌で心で感じ過ごす中で顕にされた「夫婦の歪」を、乗り越える事ができたことだった。

日常化した「非日常」を生きる

旅は通常、人にとっては非日常。しかしその旅も16ヶ月も続けていれば新しい日常と化す。 このことは私達が2020年からこの身を置くことを強いられたコロナによるパンデミックで世界中の人が何らかの形で経験していること。

「過去においては非日常だった時」を新しい日常として生きる中で、過去と現在と未来という時間軸を、自分の中でどのように受けとめていくのか?

過去、現在、未来という時間軸の中で「生きる自分」を考えるとき、私達には自分なりの世界観や人生観、死生観について今一度じっくりと向かい合う必要がでてくる。

私達夫婦は、これらの世界観、死生観または人生観の土台を聖書と聖書の神に据えると決めていたので、聖書に書かれている神の言葉について学ぶ中で「二人に共通の価値観」を持つことによって夫婦の歪を乗り越えることができたと信じている。

これが、私にとっての「16ヶ月間のキャンプ生活によって得た最大の意義」、否、「神が私達をこの旅に押し出した理由であり、それによって神から与えられた大きな恵みだったと信じている。     では、読了時間40分弱、挿入リンクを含めたら。。。 隙間時間がある時に、一人の人、妻、母、神イエスキリストに従うクリスチャンの私の長い長いつぶやきに時々お付き合いいただけたなら嬉しいです。    
これが私達のオーストラリア一周のキャンプ旅のスタイル いつも、黄色のホンダジャズが後ろからフォローしていた

GOD WILL MAKE A WAY 「神が道を創られる」をこのブログのBGMにしました。聞いてみてください. God Will Make A way

 

オーストラリア一周の旅の形

アウトドア音痴の家族がニュージーランドの持ち家を売って、25 feet=7m62cmのキャラバンとそれを牽引する車を購入した。

茶色の牽引車MUX、白いキャラバンそして黄色のジャズ これが私達のキャンプ旅のスタイル

 

2002年物、6 barths ( 最大6人が寝れる仕様)の私達のキャラバンは私達家族5人の他に 時に夫の兄を乗せ 時に友人を乗せ、 時に私の甥を乗せて、時々定員MAX6人で、売れ行きそびれた黄色のホンダジャズをその後ろに従えて、約16ヶ月で合計 55,000Km 以上を走った。

クイーンズランド州からニューサウスウェールズ州 の晩秋 4 &5 月

ジュラテンからシドニーへ一ヶ月で夏から冬への移動

2017年4月にジュラテンを出た私達は東海岸線に出ることなしに、Great Dividing Rangeグレートディバイディングレンジ=大分水嶺山脈の西の内陸部を進んだ。

オーストラリア滞在は5年が経っていたが、見たことのない内陸部の乾燥しきった土地。赤土の沿道に時折目を引く真っ白なもの。止まって見てみるとそれは、車にひかれたまま長い間日に照り付けられたに残った、カンガルーの骨だった。

本当に白い。

車しか通らない赤土の道には、真っ白な骨がカンガルーの姿形をそのまま残すものもある。

Great Artesian Basinグレートアテイジアン盆地=大讃井盆地と呼ばれる世界最大の盆地の上の渇いた地を走る。道の他には人の存在を示すものが見当たらない。

余りにも何もなく、自分がなんでこの道を走っているのか、いったいどこへ行こうとしているのか?さえ分からなくなるような錯覚に陥る

 

この道は何処へ続いているのだろう

オーストラリアの地形がキャンプに適している理由  

ニューサウスウェールズ州の晩秋5月と 南オーストラリア州 の初冬6月

シドニーからアデレード

クイーンズランドから十日間ほど一緒に旅をした後、5月12日に夫の兄とシドニーで別れた。 その後大都市シドニーから逃げるように内陸方面、西にかじを切ってアデレードを目指す。 5月の中‐下旬は暦の上では晩秋とはいえ内陸気候の冷え込みは南国育ち😉の私達には既に冬並みに感じる。 5月31日に泊まった無料レストエリアのMildura ミルジューラ の朝は、Frost 霜で車のフロントガラスが凍った。
5月31日 Mildura 凍るフロントガラス

オーストラリアで一番長い河のMary Riverマレーリバーに沿うように西に向かって走る。

乾燥帯もあるにはあるが、マレーリバー沿岸は灌漑用水を発達させたオーストラリア一番の農業地帯。季節的には休耕期または収穫後期に当たるので青々とした台地こそ見なかったが、収穫後のブドウ畑や麦畑、未だ収穫の終わらない白いコットンが雪のように広がる畑など農耕地が広がっていた。  
収穫後のコットンが、俵の様にまとめられている。 写真手前の白いものはコットン 綿。
 

クイーンズランド内陸地の乾燥しきった土地を長い間見てきた私たちは、恵みを生み出す大地を見ることによって大きな安ど感を得た。

南オーストラリア州 の初冬6月と 常夏ノーザンテリトリー の冬 7月8月

アデレードからエアーズロック、キングスキャニオン経由アリススプリングスへ

アデレード中心街の有名なショッピングモール。

アデレードでは日本からの友人をピックアップして再びMAXの6人で、エアーズロック、キングスキャニオン、アリススプリングスを目指したのが6月25日。

北に向かう(南半球なので北に行くほど赤道に近くなる)につれ日中の気温は次第に高くなっていったとは言え、オーストラリアのヘソとも揶揄される内陸部の一日の気温差は激しく、エアーズロック(ウルル)の朝はゼロ度。

エアーズロックからの Sunrise サンライズを見に行った朝は、手袋、マフラー、毛糸の帽子とダウンジャケット、ズボンの下には厚手のストッキングと真冬支度。

エアーズロック(ウルル)の朝。 あまり寒くて、子供達は毛布までかぶっていた。
 

それが日中は30度近く(超える?)になるので、キャラバンに帰る頃には背中のバックパックは脱いだ服でパンパン!

アデレードからアリススプリングスまでの道のり約1,535.9Km と、エールダンダ ロードハウスからエアーズロックとキングスキャニオン両方を訪ねた往復の距離 826Km を合わせると全長約2352Km。 この道のりを約 13日で移動した。 私たちの旅のスタイルとしてはやや急ぎ足の旅となった。

友人とアリススプリングスの空港で別れて再び家族だけの五人に戻り、見慣れた顔が見れなくなるという寂しさも感じながら、アリスの西方127kmに在る Hermannsberg ハーマンスバ―グという小さな史跡村が気に入って四泊ほどした。

Hermans berg ハーマンスバーグのキャンプ地 $10/泊

その後、今後の旅の計画やら、ちょっと一休みを兼ねてアリスのフリーキャンプ場にしばし停泊。

アリススプリングスからダーウィンまで

7月中旬にアリスを出て北上し、距離にして約1500Km を約20日間でゆっくり移動しダーウィンに向かう。追いかけ迫ってくる予定の無い時こそ、黙っていた心がおしゃべりになる。

乾いた土地にも 咲く花がある
デビルスマーブルスの大岩の上
Devils Marbles Nature reserve デビルス マーブルス 自然管理区

途中途中の小さな町のロードハウス(給油所を備え小さなガソリンスタンドで、最小限の日用品や調理済みの惣菜販売やカフェエリア)等で、支出に注意しながら最低限の食料の買い足しもする。

ダーウィンについてからは、ダーウィンの南手前約60Km にあるPermastone パーマストンという町の近くにあった一泊20ドルのキャンプ場に20日間停泊しながらダーウィンも含め周囲の探索。

電気供給はないキャンプ場だったかったから、ソーラーで電気のバックアップ。 日中は30度を超すがソーラーの充電では冷房を回すには出力が足りないので、近くの図書館で避暑も兼ねて子供はホームスクーリングの時間。

このBees Creek ビーズクリークというところにあったキャンプ場には、水のシャワーと工事現場などで見かける臨時の設置トイレ、必要な時にキャラバンの保水タンクに水を入れることができる給水の蛇口設備のみ。

有料キャラバンパークとはいえ、便利性に欠けると思うかもしれないが、5月から10月にかけての乾季にはほとんど雨がふらない(この5ヶ月間の降水量が100mmくらいしかない、つまり雨が降らない月が2ー3ヶ月あっても不思議ではない)

有料キャラバンパークとはいえ、便利性にはかけると思うかもしれないが、5月から10月にかけての乾季にはほとんど雨がふらないーこの5ヶ月間の降水量が100mmくらいしかない、つまり雨が降らない月が2ー3ヶ月あっても不思議ではないーという地域であることを考えれば、5人で一泊$20 には感謝 感謝なのである。

ダーウィン市内に泊まればキャンプ場はすこぶる高くなる。

水もあって天気も良いから手洗い手絞りの洗濯も難なく乾く。 感謝感激雨アラレ。

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赤道にも近いダーウィンの海に沈む夕日と空が ひときわ紅いのは、 自然発火による野火の煙によるものだとか

西オーストラリアの春 9月ー12月

ノーザンテリトリーのダーウィンから州境を超えて西オーストラリアへ

約二十日間のダーウィン郊外停泊後出発を決定。 南のキャサリンに戻って、そこから西に進路を切りカナナラに向かう。 Kanunura カナナラはノーザンテリトリーと西オーストラリアの州の境界線にある、西オーストラリア最初の町でダーウィンから西へ約827Km 。

BOAB ボアブの木 このKununara から東には、様々なボアブの木がみられる

さらに西に進み、西オーストラリアの西海岸北端最大の町Broom ブルームにつくまで1044 km. ダーウィンからブルームまでの1871Kmを急がず約二週間て横断。

西オーストラリアは オーストラリア最大の

旅が日常と化している時間の中で

日本の6倍以上の面積を持つ西オーストラリア州の旅にかけた時間は約4ヶ月。とはいっても毎日観光ばかりはしていられない。

旅という非日常が日常化している時間の私達の生活では、観光はやはり非日常のカテゴリーに入る。

子供は勉強もしなければならないし、主婦は家事、夫は家=キャラバンのメインテナンス プラス 我が家の場合は夫が教育も担当。

子供が学校にいかず、家で勉強することはオーストラリアでもニュージーランドでも珍しくない。我家の場合は教育担当の夫が子供の教育計画を立てて進める「ホームスクーリング」というタイプ。 他にもいくつか異なった勉強の仕方があり違った名前を持つ。

天気の良い日はキャラバンの外で 青空ホームスクーリング

なので、こういう日常に時間を割く必要がある。結構毎日、数時間はあった。

広大な面積を持つ西オーストラリアの旅の計画

西オーストラリアは広大なのでどこをどう言う風に周るか、計画をよく練る必要がある。が、どう練ってみても見たいもの全てを見るには相当の時間が必要となるので自分の足つまりキャンピングカーで回る時には、じっくり考える必要がある。

が、そんなあなたにとても参考にあるサイトが有る。それは、Tourism Australiaのサイト。

オーストラリの旅を計画するために参考になるデモルートのたくさん載っているので、それをたたき台にすると、あなた自身の旅を計画しやすくなるだろう。

西オーストラリア州WAの北西部から中心部

州の北西部から中心部にかけては乾燥気候帯で、鉱石発掘等の産業が孤立的に散在している感じ。

鉱石の発掘に特に興味がなければ、無理して何百キロも走ってこういう現場を見に行かなくても、と言いたいところだが、実際行ってみると世界有数のスーパーピットと呼ばれるその鉱石発掘現場の大きさに驚かされるし、来てよかったね、という話に落ち着く。

WA 内陸

内陸には内陸なりに、人の手に触れられていないrare レア な自然が待っているし、

WA 海岸線

海岸線には、世界遺産にも指定されているような美しく稀な海岸美があなたを待っている。海岸線の観光地は、地元の人にとってもとても人気があるので、観光のコストはその分大きくなる。

アデレードからStuart Highwayに沿って北上した後、最北端の都市ダーウィン、そして西に舵を切って世界一長いオーストラリアの環状国道一号線沿いに西オーストラリア州に入った。

西オーストラリアの北部の乾燥帯を通ってきた私たちは、11月初頭、西オーストラリアのLanceline ランセリンに向かっていた時そこに見た変化に目を奪われた。

海岸から余程離れたハイウェイの両脇には高さ10メートルほどもあろうかと思える針葉樹林が林立し、右に折れ、海岸に向かう道の両脇には天然のガーデンとも呼べる花をつけた草花が風に揺れていた。

西オーストラリア 花の季節の終わりに

天然でありながら、そこには美を醸し出す神により定められた秩序が明らかに見て取れる。

うわー!といったっきり私にはそれ以上の言葉が見つからなかった。

そこに見た自然は、華々しいカラフルな大きな花たちではなく、白や黄色、淡い紫と時に赤い小さな花達。

しかしその草花が風に揺れる時、まるでその歌声が聞こえているかのような、そんな気持ちにさせる。

西オーストラリアが魅せる自然
 

この時に知ったのが、 この西オーストラリアの春は、Wild Flower 野花で世界的に有名なのだと。

そして、 その時期は8月末くらいから。約2-3週間と。

私達の訪問は時期すでに遅しであったにせよ、それでもなお、息をのむ自然美がそこにはあった。

この4ヶ月の間に私たちは、西オーストラリアの海岸線をほぼ巡り東の内陸部に舵を切った。

西オーストラリア州の夏から再び南オーストラリア州へ 1月 2018年

そして南オーストラリアに向かうの旅へと軌道修正をし、ナラボー平原の横断に入ったのが年明けた2019年の元旦だった。

Country Road 🎵 ナラボー平原にあ140km 直線道路の一部

ナラボー平原は、 西オーストラリアのNorseman ノーズマンから始まって、南オーストラリアの Ceduna セデューナで終わるオーストラリアの南海岸線を滑らかに縁取る全長1200Km の平原で、その間に 478Km の直線道路を含む。

ここはオーストラリアの南海岸沿いのアウトバック。 つまり、物資も宿も高くて限られている

ということで私たちは、できるだけ早くこの区間を進むことにして、1月1日にナラボーに入り、そそくさと 1月6日にはナラボーを出た。

とはいってもナラボーのような「どこまで行っても地平線!」みたいな所に身を置くことは早々ないので、とってもいい経験だった。

そればかりではなく、なんにも無いようなナラボーではあるが、この長距離を利用した世界一長いゴルフコースなんかがあったり、季節さえ合えば、海岸沿岸で出産のために訪れたクジラの親子が見れたりという特別感あふれるアクティビティーも経験できる。

また来たよ!南オーストラリア!

ナラボー平原途中から、再びの南オーストラリア入となる。

ナラボーを抜けてからは、海岸線に沿ってEyre Peninsulaエアー半島を回って再びのアデレードに至った。 南オーストラリアの州都アデレードには、エアーズロックに向かう際に一度入っている。

1月夏のエア半島の東沿岸では人生初めての48度という気温を経験。まるで大きな焚火に囲まれているよう。とても外でランチをするような気温ではないので、この日はクーラーをつけたままの車の中で済ます。

外を歩く人もなく観光機関でさえ閉園してしまう気温。

オーストラリアの南海岸は南極海とつながるオーストラリア湾に面し、白い砂浜に押し寄せる波打ち際の水は、水がそこまで来ていることさえも分からないほどに澄み、南極の氷を思わせるほどに冷たかった。

グレート南オーストラリア湾の水
眠るアシカたち 南オーストラリア エア半島 東海岸

夏のタスマニア行きのために 南オーストラリア州からビクトリア州入り 2月

1月夏の南オーストラリアではWAのある教会で知り合った家族と再会し、彼ら小麦農家の敷地内にキャラバンを停め、共に一週間を過ごした。 そんな時間を含んだ約1か月間を南オーストラリア で過ごした後、ヴィクトリア州に入ったのが2018年2月5日。

ビクトリア州 GPSもお手上げのスパゲッティ道路のメルボン

2月12日朝のタスマニア島行きのカーフェリー「スピリット オブ タスマニア」に乗るためのメルボルン入り。

メルボルン観光はタスマニアの後にして今回は、GEELONG ジーロングの高速道路脇にあるレストエリア(無料)に宿泊し、10日後には超早朝にキャラバンを引っ張ってフェリーに乗るため、フェリー乗り場までの移動の下見をしておく。 で、お目にかかったのがこのスパゲッティ道路。

メルボルン市内のGPS

GPS があったけれどフェリー乗り場までの道にも迷ったし、確認しておいてよかったよかった。

ビクトリア州からタスマニア島への夏 2月12日

凝縮された美を見せるタスマニア島 12週間

12,1,2,月はタスマニアの夏から初秋に当たる観光シーズン。

そのためこの期間のフェリーは希望する日に予約するためには、6か月ほど前には購入する必要がある。行きはヨイヨイ帰りは恐いではないけれど、時期によっては往路フェリーの予約が取れても帰りも自分の旅程にそったフェリーの予約が取れるとは限らないリスクがあるということを学だ。

早めの予約が必要。

10月に予約を入れたスピリット オブ タスマニア フェリーに、早朝から夕刻にかけて約11時間ほど揺られた後デボンポートに着いた。

 

タスマニアの2月はまだ夏のはずだった。 が、不幸にも島特有の移ろいやすい天気のためか雨風曇りの寒い日が続いた。

タスマニア島は北海道の約七割の大きさ。 島の中央西側にSt.Clair Cradle Mountainセイントクレアークレイドルマウンテンを讃える中央高地的な地形。 四季がありそれぞれの季節の美しさが映える。

私たちの滞在した2月中旬から5月初めまでは、すでに晩夏から中秋または晩秋の気温であり、夏の名残のベリーピッキングを楽しみ、初雪の残る山をハイキングし、昔イギリスからの流刑者を受け入れたというPort Aurthur ポートアーサーの史跡を訪ねた充実した12週間になった。

ただ一つ付け加えると、南国育ちの私達には「タスマニアは寒かった!」

タスマニアはたとえ夏であっても「一日のうちに四季がある」と言われる程気温の変化が激しい。

ダウンジャケットとスカーフくらいは常に携行したほうがいい。

タスマニア島の冬からビクトリア州の冬へ本土帰還 5月5日

冬のビクトリア

5月5日にフェリーでメルボルンに帰還。 スパゲッティ道路に恐れをなしそして都会にはあまり興味のなかった私たちは、市内観光用も兼ねた公共バスに乗ることでメルボルン観光をそそくさと終え、北に向けて進路を切った。

ヴィクトリアの内陸も、かつての移民者が上陸しヨーロッパの文化を用いて作られた煉瓦の建物や歴史ある教会などの建築物が美しい街街が多かった。

しかし、南極に近い南オーストラリアの5月上旬。時期とタイミングが悪かった! 雨と雪と雹。

寒さに我慢できずヒーターを使うために、熟考の末26万円ほどのGenerator 発電機を購入。 タスマニアから帰還後、最低気温5度前後、 最高気温さえ10度前後。 天気回復の予報はない。 内陸は通常、海岸線よりも気温が低い。つまり海岸線の気温は通常内陸よりは高い、それなら!

ビクトリア州の海岸線に向け面舵一杯‼。 逃げるようにして、オーストラリアの都市で人口密度が最大のビクトリア州を出たのが本土帰還後16日目だった。

冬のビクトリア州から 逃げるように ニューサウスウェールズをかすめて首都キャンベラの春 5-6月

とにかく行けるところまで行く!

いつになく強固な意志を持ってハンドルを握る夫は、何を隠そう、寒いところが大嫌い。5月21日にハンドルを握った夫は、次の目的地オーストラリアの首都であるCanberra キャンベラ目指し、約700Kmの道のりを3日間で走り抜けた。

さすがオーストラリアの首都 キャンベラ!ACT

ACT とは Australia Capital Territory, オーストラリア首都特別区域 の略号。

首都キャンベラの街中に泊まることなどハナから考えていなかった私たちは、六人の旅人(そうこのときにはタスマニアで合流した私の甥が第六番目のキャンパーとして一緒だった)を財布に優しく受け入れてくれるキャラバンパークをBungendore バゲンド-という地に見つけた。

六人一泊22ドル! Thank you Lord!

そしてキャンベラは、私たちの予想をいい意味で大きく裏切った。

オーストラリアの首都キャンベラ。 近代の知恵を集めて都市計画に基づいて建設された都市。

キャンベラは人工の街、鉄筋やコンクリートによってできた街と勝手な想像をしていた私は、私の好む所ではないと思った。自然を追い求める人にとっては魅力的とは言えそうにないこの人工都市キャンベラ。

今まで見てきたオーストラリアとは確かに違った。 計画に沿って作られた国立施設や各国の大使館。 それらがいい感じに自然と調和され整然とした街。

街そのものには興味がなくても、その中にある「 NATIONAL 国立 」の称号を持つ様々な施設は、その称号にふさわしく、見応えがあった。

国立博物館、国立戦争博物館、

上左ー新国会議事堂
最高裁判所
新国会議事堂
国立造幣局
国立戦争博物館
国立戦争博物館 内
国立図書館
最高裁判所内

国立科学博物館、国立図書館、国立美術館、新旧の国会議事堂、国立造幣局や最高裁判所など。 いくばくかの駐車料金は発生するにしても、その多くの入場料は低額、寄付または無料。

新旧の国会議事堂や最高裁判所の閲覧は入場前の検査はしっかりしているが、後ろめたいことがなければ恐れることは何もない。

国立戦争博物館などは、すべてをじっくり閲覧するには数日はかかる。英語の説明を分かりきらないにしても、その展示されてあるものを通して戦争というものを肯定できない理由について、あなたの心が語り始めるはず。

こういうわけで私たちは、Bangendore に13日も滞在した。

Canberra を出た私たちはその後、 ニューサウスウェールズでの最後の町Alstone ville アルストンビルまでの内陸路1093Km を18日間で移動し、私たちのオーストラリアのふるさとクイーンズランドに帰った。

ただいま!クイーンズランド州 6月

懐かしのサトウキビ畑

ブリスベンの近くで約一週間のハウスシッティングをした後、北上した Bundaberg バンダバーグで六週間のミニファームシッティングをする。

元居たクイーンズランド に戻ってきて、しまった。 住みたいところも、見つからなかった

これからどうしようか?

またこの問い。

いくら考えてみても、行きたいところも仕事もしたいことも見つからず。結局答えのないままジュラテンに向かって北上を続けた。

クイーンズランド に入ると途端に山の緑が深くなる。その空気は湿気を含み、道路脇には以前見慣れたサトウキビ畑!

あー帰ってきた!

家さえないけれど、 それでもこの地に帰ってきた。 気持ちがプルフルとしているのが分かる。

ジュラテンに帰れば教会の人たちは必ず温かく迎えてくれるだろう。家はなくとも迎えてくれる人達がいる。 私たちのただいま!を受け入れてくれる人たちがいる。

たとえ戻る家などなくとも、 おかえり!と迎えてくれる人がいる。そのことを知ることの有難さ!

ただいま、クイーンズランド!

ただいま、ジュラテン!

ただいま、教会の人達、神イエスの名のもとに兄弟姉妹である人たち!

西オーストラリアが魅せる自然

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旅の後 Now and Future 2018 / 9月以降

雨漏りのするキャラバンより

今、旅を終えた私達は、ケアンズの北約90km元居たジュラテンに戻ってきた。

モンスーン気候によるサイクロン発生の影響でここ数日は雨が降り続き、近くの小川は氾濫し交通もあちこちで寸断されている。

今、キャラバンで寄留させてもらっている元大家さんの マラービ夫妻の家の近く約60メートル先にあるCreek クリーク 川の水が、今は家から10メートル近くまで迫ってきている状態。

キャラバンの中では、キャラバンの天井の古傷から、恐れていた水が落ち始め、 ポタポタと定期的に聞こえる音が「修理修理」「早く早く」と急かしているよう。

あ~~😟😖 雨が止まないと修理に手をつけることはできない、そして少なくとも向こう十日間は雨の予報、、、、。

自由すぎる自由⁉️

私達は今大地に土台を据えた住む家は無いけれど、タイヤを履いた動く家を与えられている。

このカタツムリ状態の私達は行きたいところに行けばいい「自由」が与えられているけれど、 この広いオーストラリアのどこに、何を基準に定住地を定めたらいいのか?

旅の終わりと Now and Future

国際結婚、海外在住、資産もなければ定期収入なしの状況で、食べ盛り育ち盛りの息子三人と夫と私の家族5人でオーストラリア一周の旅を終えた今現在。

引き続きキャラバンに住み、心理的にはまだ「明日はどこまで行って寝るの?」みたいな感覚。

収入源、子供の教育、老後の生活などなど、不透明な未来を見ようとすればするほど、不安は大きくなるばかり。

けれど

何処にいてもいなくても、 何をしてもしなくても 確かなことは、 時は刻々と過ぎ、 全てのことは変化し続けているという事。

今良いと思える状況でも、 必ずいつかは変わるし、

今良くないと思う状況が ずっと変わらないということもまた 絶対にない。

私が好きな聖書の箇所がある。

旧訳聖書 伝道の書三章 Old testament Ecclesiastes 3

1天が下のすべての事には季節があり、
すべてのわざには時がある。

2 生るるに時があり、死ぬるに時があり、
植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、

3 殺すに時があり、いやすに時があり、
こわすに時があり、建てるに時があり、

4 泣くに時があり、笑うに時があり、
悲しむに時があり、踊るに時があり、

5 石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、
抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、

6 捜すに時があり、失うに時があり、
保つに時があり、捨てるに時があり、

7 裂くに時があり、縫うに時があり、
黙るに時があり、語るに時があり、

8 愛するに時があり、憎むに時があり、
戦うに時があり、和らぐに時がある。

9働く者はその労することにより、なんの益を得るか。

10 わたしは神が人の子らに与えて、
ほねおらせられる仕事を見た。

11 神のなされることは皆その時にかなって美しい。
神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。

それでもなお、人は神のなされるわざを
初めから終りまで見きわめることはできない

GOD WILL MAKE A WAY / 神が道を創られる

God will make a way 日本語意訳

砂漠にいて渇く時、道無き荒野に立ち尽くしているかのように思う時、

そこに水が、路が、あるなどとは、まるで思えないような時でさえ、

砂漠に河を流れさせる力強さと、あなたの手を取り引き寄せて共に荒野を歩むその愛をもって、

例え私たちの目には見えずとも神は

私たちがその日一日を歩む路を、私の為に創られる。

たとえこの地にも天にも終わりが来ても、永遠の存在である神の言葉はいつまでも消えることはない。

結婚前には全く予想だにしなかった、「オーストラリア一周の旅」。 その旅を含んだオーストラリアでの今までの時を、振り返り、また時事刻々の現在の有り様も織り交ぜて綴る呟き。

 

そして、私の人生を捉えて導いて下さる神イエスキリストと聖書についても皆さんに紹介させていただきたいと願っています。

人生の旅はまだまだ続いています。

ご関心とお時間がおありでしたら、よろしくお付き合いいただけると幸いです。

素人写真ですが、皆さんの心が、オーストラリアの自然の美によって少しでも癒されるなら幸いです。 Cororin
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